ポルトガルの窓から日本が見える No.51

2016.12.26 Monday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Washing cloths at Alfama アルファマの洗濯干し

     

    エレトゥリコの珍事とアルファマのそよ風

     

    ペンションの支払いなどがあるので、両替のためバンコ・エスピリト・サント(エスピリト・サント銀行)に行く。12万円を両替して19万エスクードにもなった。これまで両替した銀行の中でコミッションが一番安く1000エスクードだ。もっと早く判っていたら6千エスクードは節約できたのに残念。

     

    この4、5日は本当に退屈、もう何もすることがない。パッセ・トゥリスチコで行き当たりばったり、エレトゥリコ(市電)に乗る。28番線でサンタ・モニース行に乗って終点まで行き、また同じ市電で引き返す。もうこうなったら乗客の観察でもして時間を潰すしかない。

     

    エレトゥリコは日本並みに満員、のんびりと乗ってはいられない。長いアルミ棒を持った職人風のおじさん、続いて黒人の修道女が乗り込んで来て私たちの前に立つ。が、そのとたんエレトゥリコはガタッと大きく揺れた。修道女は慌てて、おじさんの持っているアルミ棒をつかんだ。彼女は、市電のつかまり棒と勘違いしたのだ。

     

    彼女はつかまり棒でないことが判ると、1人でケラケラと笑い出した。私と奥村さんも余りに滑稽で思わず噴き出してしまった。彼女と私たちは、声を押し殺したものの笑いが止まらない。そして次の駅で乗車してきた白髪のおばあさんも、また同じことをする。もう誰も笑いを堪えることが出来なくなって、あたりは大爆笑。

     

    アルファマ地区のパンテオン(サンタ・エングラシア教会)近くで下車して、ゆっくり散策する。パンテオンは泥棒市が開かれる丘の中腹に位置するバロック様式の教会である。パンテオンには、バスコ・ダ・ガマ、エンリケ航海王子、歴代共和国大統領など、ポルトガルの偉人が祀られている。

     

    細い石畳の路地では、ドイツ人歌手のグループがプロモーション用のビデオ撮りをしている。どの家の窓からも洗濯物がヒラヒラとはためき、恰幅(かっぷく)の良いおばあちゃんと幼い孫が何の目的もなくボンヤリと窓から外の景色を眺めている。

     

    アルファマのそよ風は、退屈している私たちに「ゆったりと流れる時間もいいものだよ」と語りかけているように思えた。

    ポルトガルの窓から日本が見える No.52

    2016.12.26 Monday

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      ポルトガルの窓から日本が見える

       

      文:吉田千津子 写真:奥村森

       

       

       

      Inside of Amoreiras shopping center 店内

       

      やっと帰国のめどがつく

       

      今日は土曜日、リスボアに戻ってから晴天が続いていたが初めて雨が降る。明日のフライトが心配なので「どうせ暇にしているのだから」との奥村さんの提案で空港まで再確認に行く。ペンションから45番のバスに乗る。バスの中は相変わらず混雑していて黒人が多い。20分ほどで空港へ到着。

       

      エールフランスのストは、昨日やっと解決したにもかかわらず、カウンターは閑散としている。搭乗予定の11月2日のフライト、リスボア〜パリは全便満席だという。私たちのブッキングはどうなるのだろう。タイアップ切符だから仕方がないが、何としても日本へ早く帰りたい。

       

      私がエールフランスのカウンターで粘り強く交渉すると、係員は「11月1日発ならパリに夜着くフライトがありますが、そのあとのパリ〜成田は翌日にしか運航していないので、パリで一泊することになりますが」と情報を提供してくれた。

       

      私たちは即座にそのフライトに乗ることにする。奥村さんは「これで、やっと言わ猿の世界ともお別れだ」と大喜び。急に元気が出てきたのか「空港内を撮影しよう」とカメラを取り出し始める。「もう撮るところもないな」と言ってふてくされていたのに現金なものだ。

       

      帰りはリーニャ・ヴェルデと呼ばれるリスボア市内にノンストップで直行する急行バスに乗って、エントレ・カンポスで下車する。また、インド料理を食べようと思ったからだ。土曜日、日曜日、祭日365日無休と言っていたのにレストランは閉まっている。

       

      「雨の降る中わざわざやって来たのに、インド人の嘘つき」。仕方なくペンションに帰り、近くのマーケットで食料を買ってサンドイッチを作って食べる。店は土曜日の午後から全て閉まってしまうがアモレイラス・ショッピングセンターだけは土曜日も日曜日もオープンしているので救われる。アモレイラス・ショッピングセンターは、メトロ・ロトゥンダで降りて徒歩15分ほどの所にある。

       

      ピンク色の壁とガラスをコンビネーションにした超近代的な建物だ。このショッピングセンターには有名ブティック、銀行、レストラン、映画館、スーパーマーケットなどがテナントとして入っているので、我々旅行者には便利で有難い。

       

      今日は雨が降っているので、手頃な近場で休日を楽しもうとする客で混雑している。私たちは時間潰しに映画を観ることにする。奥村さんは「映画はポルトガル語の字幕つきだろうから、英語で単純なストーリーのものにしてよ」と言う。

       

      「フュージチーヴォ」(逃亡者)に決める。以前、日本のテレビで放映されたことがあるのであらすじは解っている。いちいち奥村さんに説明する必要がないので好都合だ。料金は、たったの550エスクード。日本に比べると入場料はとてつもなく安い。

       

      映画を見終わっても雨はまだ止まないので、夕食はショッピングセンター内のレストランで食べることにする。ここにも中華レストランがある。オーナーは2年前にマカオからやって来た中国人だ。3皿オーダーしたが、ポルトガルサイズで量が多く食べきれない。

       

      ここの料理は、野菜が多いので嬉しい。味はマアマアだが、主人の愛想がすこぶる良いのでマアマアの味を十分にカバーしている。主人に「もうかりまっか!」と聞いてみると、彼は手をヒラヒラさせて「ボチボチでんな」と応える。「香港の中国返還で、ポルトガルに移住してくる中国人が増えてまっせ」と主人は言う。

      ポルトガルの窓から日本が見える No.53

      2016.12.26 Monday

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        ポルトガルの窓から日本が見える

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

         

         

        Lisbon airport リスボア空港

         

        雨の日は続く、そして空港へ

         

        10月30日(日曜日)、天気予報は一日中雨。昨日と同様、アモレイラス・ショッピングセンターへと出かける。奥村さんの部屋は道路に面しているので、騒音で睡眠不足となり、ヨロヨロとした足取りで歩く。昼食は、またもや中華レストラン。私はポルトガル料理が恋しくなって来ていたが、奥村さんが「しつこい食べ物はもういやだ」と受け付けないので仕方がない。

         

        今日は、映画「ジュラシック・パーク」を観ることにした。映画館は長蛇の列。ティーンエイジャーや子供連れの姿が目立つ。料金表には毎週火曜日は映画特別日、350エスクードで観られると書いてある。日本でも、こんな粋なはからいをしてくれる映画館があれば良いのに。現在は、日本でも同様のサービスが行われるようになった。

         

        この映画は、コンピュータグラフィックスやSFXをふんだんに駆使した新しいタイプの映画だ。子供たちは恐竜が出てくると「ワーワーキャーキャー」と騒ぎ、それは喧しい、そして恐竜の世界に吸い込まれていくらしい。どこの国も変わらぬ光景だ。

         

        帰りにブラジルのリオの観光スポットのような名前のスーパーマーケット「ポン・イ・アスーカル」でオリーブとパルミット(やしの若芽)のかん詰めを買う。そして、ちょっと贅沢してタクシーに乗って帰る。タクシーメーターは日曜日なので日中でも夜間運賃となりタリフ2を指している。

         

        運転手は先般の雲助運転手とは違い、とても感じが良い。今晩で42日間滞在したポルトガルともお別れだ。ポルトガルのみなさん、ありがとう。

         

        11月1日、やっと日本に帰る日がやって来た。余りの嬉しさでベートーベンの「喜びの歌」でも歌いたい気分。フライトは、エールフランス1281便、18時15分離陸である。ペンション・ナザレを12時にタクシーで出発、降り続いた雨もやっと止み清々しい。

         

        今日は月曜日だが「万聖節」で休日なので、タクシーは2の夜間タリフで運転する。何時も私たちを悩ませたプラッサ・エスパニョーラも、今となっては懐かしい。交通渋滞もなくスイスイと空港に着く。ペンションから空港までは700エスクードだったが、沢山の荷物にも文句を言わず運んでくれた運転手に感謝の意を込めて500エスクードを礼として渡す。

         

        運転手は大喜びで「僕が荷物を全部降ろすから、そこで待っていて下さい」とサービス満点。感じの良い運転手でよかった、晴れの帰国する日に雲助運転手に気分を害されたくはない。午後6時の搭乗時間まで5時間もあるので、空港レストランに入って昼食をとる。緑色のジャケットを着たツンとすましたウェイターが我々を席に案内、うやうやしくメニューを渡す。

         

        メニューを見てビックリ、ほとんどの料理が2000エスクード以上と高価だ。空港に着いてすぐにエスクードをフランに両替してしまった後なので、手元には5500エスクードしか持ち合わせがない。グズグズしている私たちにウェイターは、すかさず「プラト・ド・ジィア(定食)は如何ですか、今日は子豚の丸焼きですよ」と言う。定食は割安なのが常識なので「じゃ、それを2つ」。

         

        注文をしたものの心配になり、ウェイターに「定食はいくら」と尋ねる。ウェイターはニッコリとして、2700エスクードでございます」と応える。所持金は5500エスクードだから、どうみても2人分だと足りない。

         

        もう一度メニューをもらって、1700エスクードの前菜、シュリンプカクテル、メインディッシュ、豚とプラムのローストを再注文する。今は好き嫌いを言っている場合ではない。妙なオーダーをする東洋人をウェイターは怪訝な目で眺める。「旅の恥はかきすて」の心境だ。食事の支払いを済ませると、サイフにはジャラ銭がわずかに残った。

        ポルトガルの窓から日本が見える No.54

        2016.12.26 Monday

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          ポルトガルの窓から日本が見える

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

           

           

          Child & cat 子供と猫

           

          オブリガーダ アテ ブレーヴェ

           

          11月1日18時15分のフライトは、16時20分からチェックインが始まる。禁煙座席をリクエストするのを忘れたので喫煙シートが来てしまった。変えて貰うのも面倒だ、それに搭乗出来ただけでも感謝しなければならない。

           

          パリまでの飛行時間は2時間30分、隣にチェーンスモーカーが来ないことを祈ろう。夕方になるにつれ空港は混雑し始める。リスボア空港は搭乗者以外チェックイン・カウンターに入れないので、見送りに来た人はカウンター前で「さようなら」をしなければならない。

           

          出入国管理局でパスポートにスタンプを貰ってからエスカレーターで階上の待合室へと向かう。待合室までの通路にはキャビア・ハウス、アルテザナート(工芸店)、アガーシュテルン(宝石店)、免税店、ヴィスタ・アレグレ(陶器店)、食品店が出店している。何処の空港でも同様だが、町中の値段よりもずっと高い。

           

          椅子に座ってフライトを待っていると、騒がしく「キャーキャー」と走り回る日本人の子供がいる。親は、他の乗客に迷惑がかかっているのに注意する様子も見られない。人が嫌な顔をしていても知らんぷり、まったく呆れる。何処の空港でもこういう光景は見られるが、残念なことに子供を我儘放題にさせているのは、いつも東洋人である。

           

          日本は先進国だと誇っているが、マナー教育においては最後進国といって良いだろう。搭乗手続きが始まり機内に入る、臨時便のせいで席は空いているようだ。喫煙座席も全席禁煙と表示されているので心配することもなさそうだ。

           

          まもなく離陸、我が町のように歩きまわったリスボアの町が下界に広がる。高度を上げるにつれて荒涼とした風景も上空からは健康的な茶褐色の大地に見える。「ポルトガルの太陽と笑顔を忘れないでね」と語りかけているような気がする。

           

          早く帰りたいとあれほど望んでいた私だったが、ポルトガルに後髪をひかれる思いだ。ポルトガルとはそういう情愛に満ちた国なのである。「ありがとうポルトガル、ありがとう明るく優しい友よ、オブリガーダ アテ ブレーヴェ」。 

           

          ポルトガル42日間の旅から長い歳月が流れた。その間、欧州連合の統一により、ポルトガル貨幣がエスクードからユーロになり、ポルトガルにも大きな変化が起きた。あの頃のポルトガルは、ファックス10枚送信する代金と3星ホテル一晩の宿泊費が同じだったことに驚かされた。確かに電化製品やハイテク機器はとても高価であったが、生活必需品の野菜、肉、魚介類などの食品は安価であった。

           

          最近の日本の傾向は、ハイテクを駆使し便利になることが人間を幸せにするという考えが世間の常識となっている。果たして、日本人の目ざす方向は人間にとって幸せなことなのだろうか。ポルトガルは、日本に比べると物質的、経済的には貧しかったかもしれない。しかし、私たちがポルトガルで感じたのは、人々の心の温かさ、寛容さ、私が子供の頃に感じたよい意味でのお節介。今、日本の社会で失われてしまったものが、まだ沢山ポルトガルには残っていた。

           

          ポルトガル42日間に同行した春子の事を、当時は自分勝手な人だと思っていたが、今世間を見渡すと同じような性格の人々が山ほどいる。春子は、その走りだったのではないだろうか。先日、2人の若い母親が道端にたたずみ携帯電話に夢中になっていた。地ベタに赤ん坊がいて母親の足にすがりつこうとしていたが、彼女は視線すらあわせずに携帯に見入っていた。乳母車を押して散歩する母親も手には携帯、忙しく指を動かしていた。

           

          長い海外生活から日本に帰国した時は、スピードの早いハイテクだらけの東京に違和感を抱いていた。当時、私が「日本はおかしい」と話しても、あの奥村さんですら「日本はこうなのだから」と私を諭した。

           

          この旅で出会ったポルトガルの人々は、この社会変化にどう向き合って暮しているのだろうか。昔のままなのだろうか。是非、もう一度ポルトガルを訪れ、彼らに再会したいと思っている。もし、彼らが昔のままだったら、今度こそ大声をだして「日本社会はおかしい、ポルトガルを見習うべきだ」と日本人に訴えたい。最後になりましたが「ポルトガルの窓から日本が見える」を読んで頂いた皆様、ありがとうございました。