ポルトガルの窓から日本が見える No.41

2016.12.22 Thursday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Festival Folk dance 祭典の民族舞踊

     

     

    サンタレンの「食と工芸の祭典」

     

    昼食は、観光局のセニョール・ロステイロが招待してくれた。前菜は小エビをゆでたもの、それに見たこともないカメの手形をしたバケモノ料理。私は、ロステイロに「これカメの手なの」と聞いてみる。彼は「これはペルセベスと言って磯の岩につく生物だよ」と笑いながら応える。見てくれはグロテスクだが味はなかなかの物。山盛りのペルセベスは、あっという間になくなった。後に、この生物は九州のある地方でも食べるらしいことを新聞で読んだ。

     

    次は、大きな伊勢エビが1人に1匹ずつ。同じテーブルで食事をしているロステイロとラジオニュース記者は、驚くほど綺麗に伊勢エビを食べる。私と奥村さんは、伊勢エビの内側に沢山の身がついているのに上手く食べられない。ラジオ二ュース記者は、小さな口をしているので「おちょぼ口さん」と私は命名、奥村さんは、彼を「ミスター伊勢エビ」と名付けた。彼ほど伊勢海老をきれいに食べる名人を見たことがないからだ。

     

    海老の後は子牛と野菜の煮もの、そしてデザート。その量たるや尋常ではない。ロステイロとミスター伊勢エビは、呆れるほど良く食べる。子牛のメインディッシュをおかわりして、2人前をペロッと平らげた。驚くべき胃袋だ。

     

    会食では町の名士がつぎつぎと挨拶しているが、余りに長いスピーチなので誰も聞かずに「ワイワイ、ガヤカヤ」とお喋りに華が咲いている。昼食会は、1時から4時まで延々と続いた。私たちのお腹は、破裂せんばかりに脹らみ歩くことすら難儀に感じる。

     

    食後のはらごなしで、テージョ河のほとりにあるカネイラスという漁師町を見学する。この町の家屋は、洪水や豪雨で家が流されたり浸水したりしないように床が1メートル50センチほど高く建てられている高床式住居だ。すべて木造家屋で夕涼み用のベランダが備えつけられている。庭では、黄色いコーンを日干している。

     

    奥村さんが写真を撮りに近づくと、子供が大声で「私にインタビューをしてよ」と迫ってくる。子供に弱い奥村さんは、仕方なく子供を写すハメになる。ロステイロがいろいろ案内してくれるのは有難いが、彼は煙突のようにタバコを吸うチェーンスモーカーなので車に同乗していると息苦しくてたまらない。彼曰く「20歳代は2箱、30歳代になると健康に気をつけて1日1箱に減らしたんだ」と変な理屈を言う。健康に気をつけているのなら、タバコなんか吸わなければ良いのにと私は思う。ポルトガルの喫煙家は食欲と同様でとどまるところを知らない。

    ポルトガルの窓から日本が見える No.42

    2016.12.22 Thursday

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      ポルトガルの窓から日本が見える

       

      文:吉田千津子 写真:奥村森

       

       

       

       

      Roast chestnut's open air shop 焼き栗の露店

       

       

      焼き栗は秋の味

       

      今朝はプラッサ・ポンバル(ポンバル広場)近くにある日本大使館にお礼に行く。リスボアに着いて間もなく、大使館文化部・西さんのお世話で画家・武本比登志さんを紹介して頂いたからだ。大使館は、ルア・モウジィーニョ・シルヴェイラ11番地にあり、メトロ・ロトゥンダ駅から歩いて数分のところにある。

       

      私がこれまで出会った大使館員は、お役人特有の何処となくとっつきにくさがあったものだが、西さんはポルトガル人のように気さくで相談に応じてくれる暖かい人だった。各国大使館にも西さんのような人が居たら、大使館のイメージアップにつながると思うのだが。

       

      昼食後ICEP(ポルトガル観光局)のジョアナ女史にも、旅の報告とお礼を述べるために訪ねる。ジョアナは、何時も元気でエネルギッシュ、ひと昔前のエコノミックアニマルを連想させる。家族持ちなのに朝10時から夜中まで働く事もしばしばで、土曜日、日曜日でも必要とあらば出社するという。

       

      エンジニアのご主人と3歳、10歳の女の子の4人家族だ。「夫の協力なくして、この多忙な毎日は乗り越えられない」とジョアナは言う。職場での彼女は男勝りの働きを見せ、堂々としている。経済的にはポルトガルは立ち遅れているが、女性の社会進出については日本に比べると遥かに先進国のように思われる。

       

      帰途、初めて焼き栗を買ってみる。1ダース150エスクード。アイスクリームカップのように新聞紙を三角にクルクルと巻いた中に入れてくれる。この時期になると町のあちらこちらで、焼き栗の香ばしい匂いがあふれる。屋台には、山盛りの栗が釜型の自動焼き栗器の上でグルグルと回る。

       

      焼き栗屋のおばさんは、栗をナイフでひとつひとつ丁寧に切り目をつけてから釜に入れている。日本で販売されている天津甘栗に比較すると、栗のサイズが大きくナイフを入れた隙間から塩がしみ込むように工夫されているので、皮も剥き易く塩味が微妙に活かされて素朴な味がする。町はもう、すっかり秋の装いだ。

      ポルトガルの窓から日本が見える No.43

      2016.12.22 Thursday

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        ポルトガルの窓から日本が見える

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

         

         

        Palacio de Queluz ケル-ス宮殿

         

         

        トゥーリスト・トラップ

         

        エボラを過ぎてリスボアに入って以来、今日まで晴れの日が続く。ポルトガル北部と違って、リスボアはコスタ・ド・ソル(太陽の海岸)と呼ばれるだけのことはある。晴れていると気持ちも明るくなってハイキングにでも出掛けたくなる。今日は、日本人旅行者も多く訪れる観光地、ケルース宮殿、シントラ、ギンショの浜に行くことにする。

         

        リスポアから西北に15キロ離れたケルースには、ベルサイユ宮殿を模したパラシオ・デ・ケルース(ケルース宮殿)がある。宮殿は薄いビンクとベージュのポルトガルカラーでコーディネイトされている。ここはドナ・マリア一世の夫ドン・ペドロの命により、18世紀中頃に建造が始められたが、1807年ナポレオンの侵入によって工事が中断されたといわれる。

         

        庭はフランスとイタリア様式の混合で、女性の顔とライオンの胴体が結合された像などがシンメトリーに置かれている。庭の緑の木々や花々は綺麗に刈られ、中世の音楽でも聞こえてきそうな美しいハーモニーをかもし出す。

         

        宮殿を出て細い山道を登って行くとノロノロの大渋滞。今日は休日、日本と同じように人々が一斉に観光地を目指すのだからどうしようもない。抜け道もないので我慢して車に乗り続ける。長時間座っていたので腰が痛くなり駐車して一休みする。

         

        背筋を伸ばそうとして上方を眺めると、パラシオ・レアル(王宮)の円錐三角形をしたグロテスクな2本の煙突がニョッキリと見えた。王宮の煙突は台所の換気のためで、当時は牛1頭をまるごとバーベキューにする時に使われていたという。台所には、槍のように太い大きな串が3本置かれ、その長さを見ると想像を絶するものがある。

         

        ここには、天正少年使節が招待された白鳥の絵を描いた「白鳥の間」や赤いバラをくわえたカササギが天井いっぱいに飛んでいる「カササギの間」がある。ジョアン一世が女官を誘惑している所を王妃に見られ、その言い訳に、それらの絵を描かせたと伝えられている。チャペルには壁一面に鳩が描かれ、ここはまるで鳥の楽園だ。

        ポルトガルの窓から日本が見える No.44

        2016.12.22 Thursday

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          ポルトガルの窓から日本が見える

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

           

           

          Kite 凧

           

           

          トゥーリスト・トラップ

           

          いつの日か一度は訪れてみたいと思っていた「カーボ・デ・ロカ」(ロカ岬)へと足をのばす。ここは日本の観光地と違い、看板も標識もまるでない。山道を不安になりながらドライブすると、ポツッポツッとレストランが点在する。

           

          昼食時間になったのでシーフードレストランに立ち寄る。メニューを見ると、とてつもなく高い。それもそのはず料理はすべてキロ売りなのだ。例えば、ガンバのグリル(車エビのグリル)キロ5900エスクード。1キロでどれだけの量が来るのかもわからないので、2人で12匹を注文することにした。車エビ12匹で3950エスクード也。

           

          この店の客は、リゾート地・カスカイスに住む金持ちのポルトガル人とヨーロッパから移住してきた人達で占められている。店内ではフランス語と英語が飛び交っていた。味はマアマアたが、外人ずれしているのかサービスも感じもあまり良くない。でも、繁盛しているところを見ると、こういうレストランが流行しているのかステイタスと感じているのか、どちらかに違いない。

           

          日本でも、この種のレストランは良く見かけるが、商売が長く続いた例は少ない。レストランを出て目と鼻の先のロカ岬に向かう。山道を抜けると突然海原が視界に広がる。ここがヨーロッパ大陸最西端のロカ岬だ。どこを見回しても岩また岩。灯台とカモイスの碑が妙に俗っぽく、自然の岩山の中で浮いて見える。もっとロマンチックな所かと期待して来たので、少しガッカリである。だか、日本のように土産物屋が軒を連ねていないだけでもホッとする。

           

          このロカ岬からカスカイスへと向かう。途中に「プライヤ・デ・ギンショ」(ギンショの浜)がある。きめの細かい白砂の浜では大西洋から吹く風に乗せて、大人も子供も凧揚げに興じている。なかでも、8つの凧を一直線に結びつけてブンブンと回転させる凧は圧巻、空高く舞い上がったかと思うと砂浜すれすれまで急降下する豪快なものだ。

           

          奥村さんと私は口を開けて凧の行方を見守っていたが、危険すら感じる迫力に走って逃げ回るほどだ。長い一日が終わってペンジョンに戻ると、「インドの大男」がフロントにいる。「彼の名前を今日こそ尋ねなければ」。彼の名は、イクバール・カリモ。例のごとく日本の話となり、カリモ曰く「ヨーロッパ人は日本人をニワトリと呼んでいるよ」と言う。それは早寝早起きだからだそうだ。

           

          奥村さんはすかさず「それならヨーロッパ人は、フクロウじゃないか、宵っ張りだからね」と応酬する。でも、日本では、もうニワトリ族よりフクロウ族が確実に増加しているのは明らかである。

          ポルトガルの窓から日本が見える No.45

          2016.12.22 Thursday

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            ポルトガルの窓から日本が見える

             

            文:吉田千津子 写真:奥村森

             

             

             

            Market 市場

             

             

            セトゥーバルの武本夫妻とおさしみ

             

            ポルトガルの日曜日は、旅行者にとっては退屈で下手をすると食いっぱぐれる心配までしなくてはならない。観光地に行けば別だが、レストランも大好きなスーパーマーケットもお休みで閉まってしまうからだ。在住していれば、家族や友人と食事やパーティーをするなどして楽しく過ごせるが、臨時住民にとってはそれもままならない。

             

            これまでは、取材のために毎日移動していたので日曜日もなかった。いざすることが無くなってみると成す術もなく、ご迷惑とは思ったが武本夫妻を訪ねることにする。「セトゥーバルは港町ですから新鮮な魚が安く手にはいるのです」と言って、武本夫妻は私たちを市場に案内してくれる。

             

            リスボアでは日曜日に市場は閉まってしまうが、ここの市場は正午まで開いている。市場は大きなドーム形をしていて、沢山の買い物客でごったがえしている。魚、肉、果物、野菜、チーズ、ソーセージなど何でもある。

             

            今日のお目当ては新鮮な魚。魚売り場に近づくと、壁に「犬侵入禁止」と大きく書かれている。こともあろうか、その真下に茶色の大型犬がデレーっと寝そべっているではないか。ノラ犬か飼い犬かは判断つかないが、数匹が場内を右往左往している。とにかく撮影開始。

             

            犬を撮っていると魚屋のおじさんが「俺も写してくれ」とせっつく。「これは、おじさんの犬」と聞いてみる。「そうだよ、そうだよ」と言いながら犬に擦り寄るが、犬は迷惑そうに後退りしている。武本さん曰く「このオヤジは写真欲しさに嘘ついているんですよ、いつものことですから」とおじさんの癖まで知っている。写真を撮ってあげると、おじさんは礼にと言って新鮮なタコをくれた。単なるたかりと違って良いところがある。

             

            昼食はタコのマリネに鯵(あじ)とトロのさしみ、どれも市場で仕入れたものばかり。武本さんが魚をおろす係り、手慣れたものだ。まさかポルトガルでさしみを食べられるとは思わなかった。私たちは白いご飯で頂く。魚のあまり好きでない私でさえも新鮮な魚は美味しく、感激の極み。アッサリ派の奥村さんは、急に元気を取り戻す。

             

            折角来たのだからと、武本夫妻は私たちを町の観光に案内してくれる。散歩しながら武本夫妻は「ここが以前住んでいた古いアパートです」と指さす。或る日、台所で料理をしていると突然天井が崩れ落ちてメチャクチャになった。このまま住んでいると命も危ういと思い、武本夫妻は今のアパートに移った経緯がある。しかし、彼らにとってはポルトガルで最初に住んだ場所なので印象ぶかいようだ。

             

            そして、武本さん行きつけの散髪屋さん。この店は古典的で中世からタイムスリップしたような散髪屋だ。今時珍しくバリカンで散髪するとのこと。町の中央からバスに乗って、毎日曜日に開かれる露店市に出掛ける。バス代は45エスクード。この料金は切符を前もって買ったクーボンの値段。「その場で買うと倍の料金を支払らわなければならない」と武本夫人が教えてくれた。

             

            15分程で露店市に着く。うさぎ、にわとり、セーター、カーペット、靴、オモチャ、雑貨といった具合で何から何まで並んでいる。武本夫人・睦子さんは目ざとくキリムのカーベットを見つけて、1万5千エスクードをディスカウントさせようと交渉したが失敗に終わる。

             

            色とデザインが美しいカーペットだった。後になって買っておけば良かったと後悔しきり。睦子さんは、センスも目の付け所も良い、買い物上手だ。イタリア製アンゴラセーターが市価の半額で売っているのには驚いた。武本夫妻は500エスクードでクッションを2つとシーツ2枚セットを、たったの1000エスクードで購入、お見事の一語に尽きる。

             

            私は以前から欲しかったプアプアの毛の付いた羊の皮で出来た上履きを買った。これでこの冬は暖かく過ごすことが出来そうだ。買い物を済ませてイレーネ・リスボアの武本さん宅に帰る。武本夫妻のアパートは家具付き2LDKで家賃8万円、窓ごしに望む港の風景は絶景で家賃以上の価値がある。午後7時、いつの日か再開を約束しておいとまする。

             

            リスボアへの帰途、「4月25日橋」の手前から11キロの渋滞となり、東京の箱崎エアーターミナルの混雑を思い出す。睦子さんの話によると、銀行ローンが低金利になったのをきっかけに急激に車を買う人が増え、渋滞の原因になっているとのことだった。ポルトガルも日本のようになってしまうのだろうか。

            ポルトガルの窓から日本が見える No.46 

            2016.12.23 Friday

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              ポルトガルの窓から日本が見える

               

              文:吉田千津子 写真:奥村森

               

               

               

              Scenery face front Tejo river テージョ川を望む風景

               

               

              リスボア市内観光

               

              今日はレンタカーを返却する日だ。朝10時に車をピックアップに来ると言うのでペンションで待ったが、11時になっても一向に現れない。電話をすると先方は落ち着き払って「あっ、ペンションの近くの路上に停めておいて下さい、そのうちに取りに行きますから」と10時の約束など、全く忘れていて謝りもしない。私ひとりが、やきもきしていたので拍子ぬけする。

               

              「馬鹿もの!それなら昨日電話をした時になんで10時と言ったんだ」と怒ってみても、相手はラテン民族「さもありなん」と納得すると不思議なことに腹も立たない。一件落着したので、ペンション裏のエドゥアルド7世公園にあるエスツゥファ・フリア(植物園)の椿を見に出掛けたが、残念なことにまだ蕾で花は咲いていなかった。

                  

              公園は広大なフランス庭園で手入された芝生が敷き詰められ、それが木々の緑と調和して美しい。この公園は英国王エドゥワルドのポルトガル訪問を記念して高台に造られたもので、ここからはポンパル候広場、サン・ジョルジュ城、テージョ河、リベルダージ大通りを眼下に眺めることが出来る。

               

              リベルダージ大通りには、銀行、航空会社、ホテルが建ち並んでいる。リスボアでは、中央分離帯に不法な二重駐車どころか四重駐車するほど車で溢れているが警官は側を通っても知らん顔、やはりラテンの国はおおらかだ。

               

              昼は、私たち行きつけのロッシオ広場近くにある中華レストランで食事をする。メニューは海老のチリソース、豚と野菜の炒め物、カレースープ、それに白いご飯である。デザートは奥村さんの大好物バナナ・フリッタ(バナナのでんぷら)で、ころもがカラメルでカリカリとしていて美味しい、大学いものバナナ版と思えばよい。

               

              帰りにICEP(ポルトガル観光局)のジョアナ女史の事務所に立ち寄ると、エールフランスのストが終わらず、日本へのフライトがキャンセルされていると言うのだ。「ストが長引けば予想外の散財になってしまう、どうしよう」私は気がきではない。奥村さんは動じず「それなら待つしかないな」と平然とした顔をしている。

               

              日頃せっかちな彼にしては、大きな変わり様だ。長期ポルトガル滞在でラテン気質がうつってしまったのかも知れない。そんなことを思い煩っていても仕方ないので、リスボアでまだ訪れていない場所を観光することにした。まずは、49番のバスに乗ってベレン地区へ。

               

              ベレン地区は1755年のリスボアの大地震でも被害を受けなかったので古い建物も沢山残り、栄華を誇ったポルトガル大航海時代を偲ぶことが出来る。そこにジェロニモス修道院がある。この修道院は1502年、マヌエル一世の時代に建築家ボアタクによって建設が開始されたマヌエル様式を代表する建造物である。

               

              ここに初めて礼拝堂を建てたのが航海王子エンリケであった。その関係から修道院前の岸辺は大航海時代における探検の船出の地ともなったのである。修道院と海辺の間には、アルブケルケ広場とインペリオ広場があり、その真ん中を電車が猛スピードで走りぬける。

               

              日本ならば軌道に柵があって当たり前だが、ここには何にもない上に電車がひっきりなしに通過するのでおちおち歩いてもいられない。危険なので地下道を通り抜けてインペリオ広場へとぬける。地上に出ると発見のモニュメントが目の前に見える。この碑は、エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に大理石で建てられたものだ。

               

              このモニュメントの右側には18世紀前半にテージョ河の船の出入りを監視する要塞として建てられたベレンの塔が建っている。モニュメントから塔まで目では近くにあるように見えるが、歩き出すと結構な距離である。私たちが訪れた時刻が夕方だったので塔の中には入れなかったが、カモメが夕日をあびて「ギャーギャー」と戯れる姿も一見の価値がある。

              ポルトガルの窓から日本が見える No.47

              2016.12.24 Saturday

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                ポルトガルの窓から日本が見える

                 

                文:吉田千津子 写真:奥村森

                 

                 

                 

                Taxi タクシー

                 

                 

                リスボアの雲助タクシー

                 

                日本にいる感覚で歩き回っていたら想像以上の距離があり、グッタリと疲れたのでバス乗り場へと向かう。その時、1台のタクシーがゆっくりと私たちの前を通りかかった。渡りに船とタクシーに乗り込む。乗ったのはよいが、どうも様子が怪しい。タクシーメーターをシフトギヤーに手を置いて隠そうとしている。

                 

                私は身を乗り出して覗き込むと、メーターはすでに500エスクードを表示している。リスボアのタクシーは250エスクードで始まり、よっぽど走らないと500エスクードにはならないのだ。タクシータリフは、1、2、3、の番号を使い分ける。1は日中、2は夜間、3はリスボア郊外と決められている。

                 

                「市内は250エスクードで始まるのに、何故500エスクードになっているの」と運転手に問いただす。彼はビクッとして苦笑いをしながら3の番号を慌てて1に戻した。彼には、私たちが何も知らない馬鹿な東洋人ツーリストと見えたらしい。ベレン地区には観光客が多いので、こうしてボロもうけする雲助運転手に違いない。

                 

                「こんな雲助タクシーを許してなるものか、降りよう」潔癖症の私は怒った。奥村さんは「いいじゃないか、疲れたから乗っていようよ」と悠長なことを言って私を一層不機嫌にさせる。そうこう言い合いをしている内にペンションまで来てしまった。怒りの収まらない私は、840エスクードを運転手に払いながら「今度は正直にチャージしなさいよ」と捨て台詞をはいてドアを思い切り強くバタンと閉めた。

                 

                何処の都会にも悪い奴はいるものだ、それにしても奥村さんの典型的日本人の態度「泣き寝入り」は一体何たること。日本人は、これだから外国人に馬鹿にされるのだ。「悪いことは悪い」とハッキリ発言せずには、決して国際人になれないことを知るべきだ。

                 

                昨今は大勢の日本人が海外旅行を経験しているが、団体旅行でコンダクターに全て頼りっぱなしのツアーが多い。ツアーは良いとしても、せめて問題が起きた時ぐらいは他人に頼らず、自分の意見をはっきりと伝える確固たる姿勢で挑むべきだ。「海外旅行すれば国際人」というのは、大きな間違いだ。

                 

                ペンションに戻るとカリモがフロントに居たので、早速ことの顛末を話す。「そいつは雲助運転手だよ」と彼も言う。私が余りにもプリプリ怒っているので、カリモは「運転手が悪い、もしポルトガル語ができなかったら、もっとボラれていたぞ」と何度もなぐさめるように言う。

                 

                思い起こせばタクシーの運転席には、マリア像と十字架のロザリアが吊ってあった。「偽善者め!」こんな恥ずべき事をしておきながら、日曜日には平気な顔をして教会で懺悔(ざんげ)するに違いない。

                ポルトガルの窓から日本が見える No.48

                2016.12.25 Sunday

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                  ポルトガルの窓から日本が見える

                   

                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                   

                   

                   

                  Liverdade Avenue リベルダーデ大通り

                   

                  エアラインのストライキ

                   

                  ストの事が心配なので、今朝はアヴェニーダ・リベルダーデにあるエールフランスのティケットオフィスに行ってみる。ひょっとしたら他の航空会社にエンドースして貰えるかもしれないと思ったからだ。オフィスに行くと数人の客がエンドースのために並んでいる。

                   

                  私たちの切符は、エールフランスの好意で取材のために提供してもらったものだ。この種の切符は、通常エンドースなど出来るはずもないが、病気や急用などの場合には特別な処置が取られることもあるのだ。体調が悪い奥村さんをだしに「彼が病気で」と大袈裟に言ってみたが駄目だった。

                   

                  「28日までは飛行機が全便キャンセルなので、それ以降に来て下さい」とあっさり断られてしまった。もうレンタカーも返してしまったし、あと4日間どうして過ごしたら良いものか気が重くなる。 帰りにスーパーマーケットで昼食用の買い物をする。リスボア滞在が長引くようなら経費も節約しなくてはならない。パン、ソーセージの缶詰、野菜の酢漬け、トマト、レタスを購入。

                   

                  レドンドで買った絵皿に並べると結構さまになる。こんな役に立つとは思わなかった。昼食後、奥村さんはカメラを持って何処かへ出掛ける。私は歩いても行けるグルベンキアン美術館を訪ねる。抽象画には余り興味がないのだが、間違って現代美術コーナーへ入ってしまった。

                   

                  そこにはピカソの初期の素描が沢山展示されている。晩年のビカソのイメージとの相違が興味深かった。同館の2階には、土による家の建て方を説明する技法が展示されている。それにはセメント・鉄骨と違って安価なので「ホームレスの人達に、もっと土の家を奨励するべきだ」と書かれている。地震の多い日本に暮らす私には「とんでもない発想」と思えるのだが。

                   

                  美術館を出てペンションに向かって歩いていると、ラッシュアワーなのだろうか、「ブーブー」と渋滞に巻き込まれた車が警笛を鳴らし続けるので鼓膜が破れんばかりに喧しい。夕食は昼に見つけたピッツァ屋へ行く。奥村さんの話題はもっぱらストの事。平静を装っているが、やはり彼も相当気になるらしい。

                  ポルトガルの窓から日本が見える No.49

                  2016.12.25 Sunday

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                    ポルトガルの窓から日本が見える

                     

                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                     

                     

                     

                    Casa dos Bicos(House of spikes) カーザ・ドス・ビッコス(口ばしの家)

                     

                     

                    アルファ・ロメオで誘拐されるの巻

                     

                    やっと水曜日になった。もう取材する場所もなく、観光地も見尽くした感がある。私たちにとってのリスボアでの最後の観光めぐりに出発することにする。まずは、カーザ・ドス・ビッコス(くちばしの家)。ロッシオ広場までメトロで行き、ルア・ダ・プラタ(銀通り)をテージョ河の方へ下ると「カーザ・ドス・ビッコス」がある。

                     

                    この建物はインド副王アルブケルケが建てたもので、1755年の地震による高波にもビクともしなかったと言う歴史的建物だ。ビッコとはポルトガル語で「鳥のくちばし」の意で、その名の通り外壁が鳥のくちばしのようにピョコピョコと飛び出ているので、そう呼ばれているのだという。命名が可愛いので気に入った。

                     

                    カーザ・ドス・ビッコスの裏道は狭く、古い建物が密集している。奥を覗くと暗い室内で男が1人、もくもくと働いている。ここは、創業215年を迎える老舗の秤製造会社「ロメオ」だ。アズレージョには、創業年にあたる1778年という数字が刻まれているのに加え、その当時の様子が細密な絵で描かれている。

                     

                    昼からは以前に取材した「コンフェタリアア・ナショナル」社長の息子(名前は父親と同じでルイ・ヴィアナ)と会う。彼はリスボアを代表する近代的なショッピングセンター「アモレイラス」で3軒のブティックを経営するバリバリのビジネスマンである。

                     

                    彼は開口一番「私のオフィスに来て下さい」と言う。彼のオフィスは、リゾート地・カスカイスとリスボアの中間にある町・パレデにある。レンタカーを返却して足もないので、私たちは気が進まず、体よく断わろうと生返事をしていた。すると突然、彼は自分の車にさっさと乗り「さあ、行きましょう」と言う。

                     

                    奥村さんと私は、てっきりペンションに送ってもらえるものだと思い込み、ピカピカのアルファ・ロメオに乗り込んだ。ところがどうしたことか、彼はリスボアの町を離れ高速道路に入るとビュンビュンと猛スピードで車を飛ばし始めた。

                     

                    一体何処に連れて行かれるのか判らない、誘拐される人の気分だ。気がつくと、彼のオフィスの前だった。オフィスは海岸に面した見晴らしの良い2階建ての真新しい住宅である。彼の執務室からは、地平線に沈む夕日が美しく眺められる。

                     

                    日本とポルトガルのビジネスについて1時間ほど意見交換をする。話が終わると、彼は「リスボアにはタクシーでお帰りなさい」といとも簡単に言う。自分が私たちの意向もきかずに勝手に連れて来ておきながらツレナイ態度。

                     

                    リスボアまでは、相当な距離があるのでタクシーではいくらかかるのか判らない。この金縮引き締め政策の折、コンボイオ(電車)で帰ることにする。車内は閑散としていて、堅い座席は昔の日本の汽車を思い出させる。電車は立っているのが困難なほどガタガタとひどく揺れる。今の私たちの情けない気持ちを象徴しているかのようだ。

                     

                    所要時間30分でリスボアのカイス・ド・ソドレ駅に到着。料金は、1550エスクードであった。何故、彼は私たちの意向を無視してオフィスに連れて行ったのか、未だに判らない。

                    ポルトガルの窓から日本が見える No.50

                    2016.12.25 Sunday

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                      ポルトガルの窓から日本が見える

                       

                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                       

                       

                      Cat of Carmo monastry カルモ修道院の猫

                       

                      カルモ修道院

                       

                      今日も、エールフランスで28日以降と言われたがティケットオフィスにしつこく行ってみる。窓口の女の人も親切に相談に応じてくれた結果、11月2日のフライトにブッキングしてくれる事になりホッとする。しかし、ストは続行中なのでまだ安心はできない。日曜日にもう一度、リコンフォーメーション(再確認)をしなければならない。それにしてもあと4日間もある。

                       

                      まだ訪れていないコンヴェント・デ・カルモ(カルモ修道院)に行く。ロッシオ広場から胸突き坂をハアハアと登ると、そこに修道院はあった。奥村さんは、私が何度「カルモ修道院」と教えてもカルガモ修道院と言って私を笑わせる。入場料300エスクードを払い中に入ると、平日のためかひっそりとしている。

                       

                      柱と骨格だけが残って壁などが崩れ落ちているので、まるで建物のガイコツといった感じだ。1755年の大地震で修道院の屋根などが崩れ、補修もせずにそのままになっているのだ。廃墟には草花が生え、それが妙にデザイン的で不思議なハーモニーをかもし出す。

                       

                      天高くカーブを描くアーチ状の柱は、青空に映えて美しい。瓦礫では、三毛猫が毛づくろいをしながら日向ぼっこをしている。観光客なれしているのだろうか、人見知りせずに擦り寄ってくる。修道院の奥は考古学博物館で、ミイラがガラスケースの向こうから私を見つめている。静かでそよ風の音まで聞こえて来そうで、何時間いても飽きない。

                       

                      これがリスボアの時の流れなのかも知れない。ゆっくりとなだらかな石畳の道を下るとロッシオ広場に出る。4日間乗り放題のパッセ・トゥリスチコをまた買う。1350エスクードでバス、コンボイオ、エレトゥリコ、市内であれば何処にでも行くことが出来る便利で経済的な乗り物パスだ。

                         

                      早速17番サン・ジョアン行きのエレトゥリコに乗ってみる。すると突然急停車。窓から客がヤジ馬根性丸出しで首を出す。私も覗いてみると自動車が市電のレールの上に駐車しているではないか。運転手は「ファンファン」と警笛の紐を引っ張り何度も鳴らすが音沙汰無し。

                       

                      運転手も慣れているらしく、怒りもせず根気よく待っている。大分経って自動車の持ち主が現れ解決、「出発進行!」市電はアヴェニーダ・アルミランテ・レイスの通りをどんどんと登る。この路線の終点はアロイオスだ。ここは道幅が広く、新しいリスボアを象徴している。そして新しいポルトガルの生活の匂いも感じられる。

                       

                      夜は退屈しのぎに美味しいものを食べたくなったので、フロントのカリモに聞いてみる。「それなら僕の推薦のインド料理はどう」と言われ、即決定。アヴェニーダ・リプブリカから空港方面行きのバスに乗って7駅進むと、カリモお勧めのインド料理店のあるエントレ・カンポ・ノルテ停留所がある。バスは満員、半数以上が黒人客。ここがポルトガルかアフリカなのか錯覚を起こしてしまいそうだ。

                       

                      バス停で降りてIBMの大きなビルを越えた角を右に曲がるとアヴェニーダ・ダ・イグレージャ通り。そこにインド料理店「ナトラージ」がある。店の主人はこの道20年のベテラン、以前はロンドンでレストランを経営していたこともあって英語が通じる。久しぶりに奥村さんは大喜びして能弁となる。海老カレー、マッシュルーム、ほうれん草、それにご飯、前菜にはサモサを注文。値段は他の店より少し高めだが、味は絶品。