ポルトガルの窓から日本が見える No.31

2016.12.18 Sunday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Church of Santo Antonio Pedra サント・アントニオ・ペドラ教会

     

     

    露天掘りの大理石

     

    昨夜は酷い暴風雨、雨が窓から吹き込み床はビショビショ、ガラスは割れそうになるはでルームメイドを呼ぶ大騒ぎになってしまった。アンティークな雰囲気もよいが現実は厳しい。大変な部屋に泊まってしまったものだ。ルームメイドが持って来た雑巾も、あっという間に水膨れ。一段落しても風と雨が吹きつける音がやかましく、おちおち眠ってもいられない。旅行の折に必ず携帯する耳栓をして、やっと眠りにつく。

     

    翌朝、雨は止んだが相変わらず風は吹き荒れている。春子は、原稿の締め切り日が過ぎても書き上げられず四苦八苦、彼女はポウザーダでお残りとなった。私と奥村さんは近くの町、ヴィラ・ヴィソーザへ行くことにする。15世紀初頭、ブラガンサ公爵が広大な館をこの町に築き、天正少年使節が、この地で心温まるもてなしを受けたという歴史の街だ。

     

    この町に向かう街道沿いは大理石の産地として有名だ。採石場だろうか、ポコッポコッと白い大きな山がみえる。「そうか、あれが大理石の山なのだ」。ここの大理石は露天掘り、何トンもある四角い大理石の塊まりが無造作にゴロゴロと置かれている。大理石といえば日本では高価なもの、信じられない光景だ。土曜日ではあったが、幸いにも仕事をしている採石場があったので取材させてもらうことにした。

     

    ポルトガル産大理石は、主にイタリア、フランス、スペインなどに輸出されていて、訪れた採石場での一日の埋蔵量は150トン。「高級イタリア大理石といって販売しているけどね、ポルトガル大理石を加工したものが大多数を占めているんだよ」と採石場の従業員は語る。

     

    エストレモスからヴィラ・ヴィソーザ間には、至る所に白い山が点在する。まさに大理石の宝庫である。その恩恵を受けてか、ヴィラ・ヴィソーザの真ん中にあるプラッサ・レプブリカ(レプブリカ広場)は、石畳が大理石で埋め尽くされている。

     

    天正少年使節が訪れた教会、サント・アントニオ・ペドラ前の広場も大理石の綺麗なモザイクで飾られている。教会の裏側にも大理石で造られた可愛い小屋がある。近づいて見ると驚いたことに、そこは墓地。ポルトガルには家の形をした墓が多いが、きっと金持ちや貴族の墓に違いない。中には、日本のワンルームマンションより大きいものもある。

     

    日本の暗くて陰湿なイメージとは異なり、白い墓前には色とりどりの花や亡くなった人の写真が飾られ、墓石には故人を偲ぶ詩が刻み込まれている。そこに、家族が墓参に来ていた。「親戚のおばさんが数年前に亡くなってね、会いたくなると家族揃って訪ねて来るんですよ」と最年長の婦人が話してくれた。ポルトガルの墓地は賑やかで明るく、気も晴れ晴れとする。日本の墓地もこうあるべきなのに。これも豊富な大理石の演出あってのことか。

    ポルトガルの窓から日本が見える No.32

    2016.12.18 Sunday

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      ポルトガルの窓から日本が見える

       

      文:吉田千津子 写真:奥村森

       

       

       

       

      Clay doll 土人形づくり

       

       

      ノラ犬攻撃と土人形

       

      天候は相変わらず晴れたり雨になったりの気まぐれ天気。昼食後、夕食用のパンとヨーグルトを確保する。ポルトガルは、土曜日は午後1時まで、日曜日は休みという店が多いので、買いそびれると絶食を余儀なくされ悲惨な目にあってしまうからだ。勿論、日本のように一日中開いている店などない。

       

      丘の上のポウザーダ近くで、またもやノラ犬攻撃にあう。車のタイヤにかみつかんばかりに跳びかかる2匹の犬、私たちは立ち往生、それを良いことに犬めは車の前に陣取り座り込んだ。犬好きの奥村さんは、ひき殺したくないので困り果てている。

       

      「ノラ犬だから可哀相だと思ってやったらいい気になって、ふとどき千万な奴め」と怒っている。私も犬好きだが、本当にひき殺してやりたくなった。10分ほどの立ち往生、やっと犬も根負けしたのか立ち去り無罪放免。ポウザーダに辿り着く。少し休憩を取って、再び取材開始。

       

      ポウザーダ前の小さな美術館がターゲットだ。一階には歴史的な土人形を中心に展示してある。美術館の離れには、アルリンド、アルフォンソ兄弟の土人形のアトリエがある。今日は、アルフォンソが一人で仕事をしていた。彼は土人形一筋に16年のキャリアを誇る人形師だ。技術習得は、すべて独学でやって来たという。

       

      彼は18世紀の古典的手法を継承して、絵具は自然から取れたアルミ、鉄、松ヤニなどを使う。人工の絵具と違って色あせしないのが特徴だ。アトリエの隅には、1×2メートルの材料として使う土を入れる囲いが作られ、中には栗色のきめ細かい粘土がいっぱい入っている。冬期は、寒さのため土を手に入れることが難しいので、夏期に兄弟2人で土と水を混ぜ合わせたものを足で踏んで十分にこね回して余分な水分を取り除く。それを、アトリエ内に保存して冬に備えるのだという。

       

      アルフォンソの作品は、宗教とアレンテージョ地方の風俗をテーマにしている。アトリエの棚には、「イザベル王妃」「羊飼い」「麦刈りの女」などの完成した作品が飾ってある。素朴で温か味のある土人形だ。「ヨーロッパ各地でも展覧会を開催しているんですよ」と言って自慢げに新聞の掲載記事を見せてくれた。

       

      しかし、こうした伝統芸術は若い人には好まれないようで、後継者もなく「自分たちで終わってしまうかもしれない」と彼は嘆く。若者が3Kの仕事を嫌い、カッコよいお金の儲かる仕事に魅力を感じるのは何処も同じらしい。

      ポルトガルの窓から日本が見える No.33

      2016.12.18 Sunday

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        ポルトガルの窓から日本が見える

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

         

         

        Ceramic shop of Redondo レドンドの陶芸店

         

        レドンド

         

        激しい暴風雨も止み、静かな夜を取り戻した。お陰で熟睡、気もちのよい朝を迎えることが出来た。

        今日は久々の晴天、エストレモスからエボラへ向かう予定だ。そろそろ、この長旅も終わりに近づく。目的地エボラの手前にある町、レドンドへ立ち寄ることにする。

         

        車窓から見える風景は、相変わらず枯れ草に包まれた荒涼とした平原である。時折見えるコルク樫とオリーブの木々の間には、放牧された牛や羊がゆうゆうと草をはんでいる。この光景は、私が永年すんだカルフォルニアの砂漠にも似ている。

         

        やがて街道は傾斜を強めて丘へと登り、眼下には乳牛が眺められる。「奥村さん、あっ牛だ」と私が叫ぶと、彼は車を急停車させ一目散に崖っぷちへと突進、カメラを構える。と思いきや、10秒も経たないうちに真っ赤な顔をして大慌てで戻って来るではないか。

         

        「ハアハア」と息咳切りながら車に飛び乗る。「あ〜怖かった、牛を撮ろうと近寄ったら、2匹の牧羊犬が物凄い形相で僕に向かって来たんだ、噛まれるかと思ったよ」彼の顔は青ざめている。不審者が近づくと容赦なく攻撃するよう教育されていることは前記した通りだが、羊飼いが「私と一緒にいれば噛み付いたりしないよ」と言った言葉を思い出す。牧羊犬だけしか居ない時は注意が必要だ。

         

        ポルトガルの犬は、ほとんど放し飼いされている上に、どの犬も顔つきがポーッとして呑気な顔をしているので飼い犬かノラかの判断がつきにくい。だが、牧羊犬はどれも顔つきがピリリとして姿勢も良いので、はっきりと見分けることが出来る。

         

        ここから30分で陶器作りで有名な町、レドンドだ。今日は休日なので店は閉まっていると諦めていたのだが、逆に陶器屋さんにとっては稼ぎ時なのか開いている店が多い。画家・武本比登志さん宅で見たのと同様の皿も飾ってある。私も気に入っていたので、さっそく店に入ってみることにする。

         

        店には日本のように洒落たショーウィンドーはなく、皿が地面にむき出しに置いてあるだけだ。無造作に積み重ねられてはいるが、羊飼いや農作業など生活の匂いがする色彩かな皿を見ると、私たちが見て来たポルトガル情景にフィットして「なるほど」と納得させられるものがある。

         

        小皿は350エスクードから買えるのだから、ハンドメイドにしては格安だ。だが、素朴といおうか天真爛漫といおうか、商品の中には色がはみ出したのやら羊の目がずれて付いているやらで、注意して選ばないと抽象絵皿を買ってしまいそうだ。

         

        店内には灯もなく暗いので、目が慣れるまで待たないと絵皿を確認するのも難しい。入口には皺くちゃのおばあちゃんが杖をついて椅子に腰掛けているのだが、老眼で暗いところで物を見るのが不得手な奥村さんは、大分たってから「あっ、おばあちゃんが居る」と幽霊とでも出会ったようなギョッとした顔をしている。

         

        そのおばあちゃんは大声で「アメリア」と娘を呼ぶ。娘といっても、すでに50歳は越えているだろうか。「ボア・タルデ」(こんにちは)と挨拶すると、娘も「ボア・タルデ」と愛想よく応える。そして、珍しそうに私たち3人を見つめた。またしても「マカオから来た中国人か」との質問。「ソウ ジャポネザ」(日本人です)「ふーん」と残念な顔をする。

         

        私は「もしまけてくれるなら、何時でもマカオの中国人になりますよ」と言うと、おばあちゃんは「ワハハハ」と豪快に笑う。この店で皿を4、5枚買って次の店に移った。

        ポルトガルの窓から日本が見える No.34

        2016.12.18 Sunday

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          ポルトガルの窓から日本が見える

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

           

           

          Plate & Artisan 絵皿と職人

           

           

          レドンドの岡本太郎

           

          広場を突っ切った消防署前に、陶器店がもう一軒あった。店内では、おじいちゃんがピーナッツの殻やタバコをいっぱい散らかした机の上に新聞を広げて読んでいる。面白そうなおじいちゃんなので、取材させてもらうことにする。彼は皿の絵師だと言うのだが、机には皿もなければ筆もない。「写真を撮れ撮れ」と勧められても、これでは何をしているのかもわからない。

           

          「今日は、お皿に絵を描かないの」と聞いてみると、「日曜日は仕事はしねえ」という。私たちは遠い日本からポルトガル取材をしに来たのだと告げると、急におじいちゃんは態度が変わり「メ ダ ピンセル」(筆をくれ)、「メ ダ ピンセル」と私に命令する。

           

          何事かと思ったら特別に絵を描くふりをしてやると言うのだ。続けて「メ ダ プラト」(皿をくれ)、とまたまた私を召使のように扱う。「まったく失礼なおじいちゃんだ」と思いながら彼の足元に目をやると、両足のない不自由な身体で杖までついているではないか。言葉はベランメー調で荒っぽいが気は良いおじいちゃんで、私たちのために「ヤラセ」をこれでもか、これでもかというくらい演じてくれた。

           

          彼は76歳、この仕事を始めて40年になるそうだ。「わしの皿は芸術じゃ」と自信満々。「二度焼きしているから割れんぞ」と我々が心配するほど、ハサミで「カンカン」と皿を割れんばかりに叩いてみせる。愛嬌のある芸術家じいちゃんだ。「芸術は爆発だ」の画家、岡本太郎さんと顔も仕種も似ている。どこの国にも、こういう人はいるものだ。気に入った皿を沢山買い込み、3人は満足してエボラに向かう。

           

          夕食場所を探してウロウロしていると、またも迷路にはまってしまい、ひと苦労。それでも何とかポウザーダが見えるところまで来た。すると、何やら良い匂いが漂ってくる。あたりを見回すと前方に大きな煙突があり、モクモクと近くの公園を包みこむほどの煙を出している。

           

          煙突の下にはレストランがあり、客が長蛇の列をなしている。中を覗いてみると、2メートル幅の巨大な炭火のグリルの上に、あじの開き状態の丸々一羽の鶏が50枚前後並べられ焼かれている。痩せの大食い春子は「キャーおいしそう」と叫ぶ。この店の煙は何キロ先にも届きそうだ。犬の多いこの地域では、近所のノラが匂いを嗅ぎ付けて集まり、ワンチャン・オンパレードになっても不思議ではない。 私たちの夕食は、勿論この「フランゴ・グレリャード」(ポルトガル風やきとり)に決定。やきとりは万国共通でおいしくて安い。

          ポルトガルの窓から日本が見える No.35

          2016.12.18 Sunday

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            ポルトガルの窓から日本が見える

             

            文:吉田千津子 写真:奥村森

             

             

             

            Retired people 老人養護施設の入居者

             

             

            神殿と老人養護施設(ラール)

             

            アレンテージョ地方に来てから快晴の日が続づく。歴史の街、エボラもポルトガル晴れ。昨日から泊まっている「ポウザーダ・ドス・ロイオス」は、街中にあるので便利だ。古い城跡に修道院が建てられたのが15世紀のこと、そして1965年にポウザーダとして改装されたのがドス・ロイオスの歴史だ。

             

            隣接した16世紀に建てられたという修道院会議堂は、レストランとして生まれ変わっている。ポウザーダ前の広場には、巨大な大理石で造られたコリント様式の柱が14本もそびえたち、さながらギリシャ・オリンポスの丘を彷彿とさせる。これが紀元2世紀にローマ人によって建てられた「ディアナの神殿」である。円柱の土台と柱頭部分にはヴィラ・ヴィソーザ産の大理石が使われ、抜けるような青空に向かって真っ白なエンタシスが突き抜けるように伸びる様は、素晴らしいコントラストで映え雄大そのものだ。

             

            春子の原稿は未だ出来上がらず、今日もポウザーダで執筆するために居残ることになった。私と奥村さんは、かねてからの念願であったポルトガルの老人養護施設の取材に行くことにする。観光局に尋ねても老人養護施設は観光地ではないので「郊外にあると聞いたことはあるんですが」と何とも頼りない。

             

            やむをえず、ありそうな地域にめぼしを付けて車を走らせ道を尋ねながら探すことにした。たどり着いた施設は、ミゼルコルニア教会所属の「ラール・ラマリョ・バラオーナ」であった。外見は城のような形をしている。余りに広いので入口の見当もつかないほどだ。ホームでイルマ(シスター)レジーナ・ネーヴェスに取材許可をとる。

             

            昼時だったので、食事風景から撮影することになった。昼食を知らせる鐘が「カランカラーン」と鳴らされると、老人たちが一斉に食堂に集まってくる。そして気に入った仲間と食卓を囲み、とても明るく楽しそうだ。食堂は300坪はあろうか、150人もの人が一挙に食事ができるのだから大企業の社員食堂並みの規模である。

             

            奥村さんはチョコチョコとテーブルからテーブルへと撮りまわる。彼らは写真を撮られた経験も少ないと見え、興奮気味にポーズをとる。おばあちゃんの一人は、奥村さんを写真屋さんと勘違いして「いくらかね」とサイフを出して払おうとする。「私を撮って、撮って」と奥村さんは大モテ、撮らなくても良いものまで老人たちを喜ばすためのサービスに努めている。

             

            今日のメニューは、スープ、豆、じゃがいも、魚のフライ、それにサラダとメロンがデザートのフルコースである。ここは自分で動くことが出来る元気な人のための食堂だが、この施設では健康を害している人のために小さな食堂を男女別に用意している。

            ポルトガルの窓から日本が見える No.36

            2016.12.19 Monday

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              ポルトガルの窓から日本が見える

               

              文:吉田千津子 写真:奥村森

               

               

               

              Nun & retired man シスターと入居者

               

               

              老人養護施設(ラール)

               

              ここにいる老人たちのほとんどは農業や羊飼いに従事して来た人たちで、低所得者や文盲の人が多い。

              低所得者は何処にでも居るが、文盲の傾向は田舎に行けば行くほど顕著になる。というのも学校から離れた所に住んでいると、バスなどの交通機関もないので通うことが出来ずじまいになってしまうからだ。

               

              施設の規則は、日本と違って厳しくなく自由だ。外出する者、散歩する者、椅子に座って話す人、民芸品をコツコツ作る人、バラの手入をする人など、それぞれの個性と行動の自由を尊重したシステムになっている。

               

              病室を設けても、誰一人ベッドで一日中過ごす者はいないという。必ず日中は仲間と語らいながら、日向ぼっこぐらいはする。「自分のことば、自分でする」これこそが彼らのモットーであり、生きがいなのだ。「甘えた依頼心を持つようになったら、死んでしまったのと同じ」とある老人は語る。「ポルトガルは成熟した社会だな」と感心させられる。

                

              この養護施設は、5人のシスターと50人の従業員、その他、在宅介護の数多くのボランティア従業員が構成要員となっている。在宅介護は、毎日の食事の運搬と洗濯を土、日曜日を除いてサービスしている。お風呂に入れない人には、施設で入浴させるために車で送迎するという徹底したシステムが確立している。

               

              ポルトガルの養護施設は教会が経営しているところが多い。従業員の給料、入居者の下着、シャツ、セーターなどの衣料や眼鏡までも教会が負担してくれる。勿論、ここに入る人は入会金もなく、一切無料であることは言うまでもない。


              医療面でも、医者1人と4人の看護婦が常駐しているから安心だ。この建物は、イグナシア・フェルナンデス・ラマーリョ・バラオーナというとてつもなく長い名前の大金持ちが、イタリア人建築家に造らせ、彼の使用人の老後を看取るために建てられたものである。

               

              これが後の養護施設の基礎となって集会所、チャペル、食堂、バー、大きな中庭、陽当たりの良い回廊、トイレ付の部屋を教会が新たに設けた豪華施設である。部屋は4人部屋で、とても清潔でトイレが付いている。部屋に入るとベッドのサイドテーブルに家族や孫の写真が大切に飾られてある。

               

              今日も一人の老人が入所した。娘と娘婿は長時間シスターに「父をよろしく」と頼んだ末、泣きながら父を残して去って行った。父は娘たちに「ワシは、大丈夫じゃから」と何度も説得していた。聞いてみると娘が病気がちで父親の面倒を見られなくなり、父が娘を思い自ら望んでこの施設に入ることを決めたのだという。

               

              「親子愛とはこういうものだな、ポルトガルでは老人問題に教会が深く関わっているんだな」と感動を覚え印象的な取材だった。「文盲の人が多いから教育後進国」なぞと、我々日本人はうがった考え方をしてはいけない。この施設と家族愛こそ、今の日本が学ぶべき本当の教育ではないだろうか。

              ポルトガルの窓から日本が見える No.37

              2016.12.20 Tuesday

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                ポルトガルの窓から日本が見える

                 

                文:吉田千津子 写真:奥村森

                 

                 

                Dog 犬

                 

                 

                春子とエボラのお喋り犬

                 

                ポウザーダに帰ってみたら、春子が原稿を仕上げられずもたもたしていた。奥村さんは、自分で取ってきた仕事なので相当苛立っている。春子の文章は原稿を書く以前の問題で、国語の使い方が中学生でも、こんな文章は書かないだろうと思われるほど幼稚で誤字脱字が多い。

                 

                辛抱強くて優しい奥村さんは、それでも何とか春子に書かせて自信をつけさせようとアドバイスに努める。しかし、親の気持ち子知らずというべきか、奥村さんが噛み砕くように丁寧に話せば話すほど、春子は増長して「これが私の文章です」とコピーライター風を吹かして口答えするばかりで、反省のいろはまったく感じられない。

                 

                奥村さんは旅行中、彼女のプライドを傷つけないようにと婉曲的な表現で努力をしてきた。現代っ子の春子は、われ関せずのマイペース、人の意見を聞こうなぞと言う謙虚な気もちなど持ち合わせていないのだ。奥村さんは、今日まで良く我慢をしたものだと私も思う。

                 

                原稿がのびにのびて、とうとう帰国間際になっても出来上がらない。ライター能力のない彼女を連れてきた私たちにも責任はあるが。しかし、この口答えのなかに「日本に帰ったらワープロも使えるし、資料もあるので書くことが出来る」という言い訳があった。それを聞いたとき洒落にもならないが「あ〜あ、春子は本当のコビーをするライターなんだ」と実感した。お先真っ暗、帰国してからが思いやられる。

                 

                老人養護施設での感動も春子の態度でぶち壊しだ。暗い気もちになって外に出ると、ポウザーダ前に、顔だけがポヤポヤと荒毛になった茶色の犬が車の往来をものともせず寝そべっている。ハンサムで可愛い犬である。人が通ってもベターと寝そべって起きようとしない、なかなかの大物だ。犬猫好きの奥村さんは、ポルトガルに来てからやたらと撮りまくっていた。ポルトガル犬シリーズが出来るほどノラ犬、飼い犬かまわずカメラに収めている。

                 

                私も輪をかけて犬猫好きなので、見つけるとすぐに奥村さんに撮影を命じてきた。しかし、この犬はいつもの調子と違ってカメラを向けると、お腹を出してひっくり返ってしまうのである。何度撮ってもひっくり返るので、諦めた奥村さんと私は10月5日通りの方へ歩き始めた。すると、その犬は急に立ち上がり、ドンドン私たちの後を飼い犬ぜんとしてトコトコついて来るではないか。10月5日通りの土産物屋を通り抜け教会の広場までやって来ると、やっと犬は私たちの前から去っていった。

                 

                次の日も同様に寝そべっている。私たちが歩き出すとスクッと立ち上がり、後ろからついてくる。今度は何かを訴えるように「ウォンウォンウォン」と口をモゴモゴと動かし、吠えながら私たちの気を引こうとする。「ポルトガルの犬はポルトガル人に似てお喋り好きだな〜」と奥村さん。そんな冗談も出ないほど深刻な事態となった。

                 

                昨日と違って何時までたってもついて来るのだ。さすがにうっとうしくなった奥村さんは「ポルトガル語であっちに行けってどう言うんだ」と私に聞く。「ヴァイ ラ」よ。「そうかヴァイ ラか」、奥村さんは大声で「ヴァイ ラ」と叫んだ。その途端、犬はピタッと止まりついてこなくなった。

                ポルトガルの窓から日本が見える No.38

                2016.12.20 Tuesday

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                  ポルトガルの窓から日本が見える

                   

                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                   

                   

                   

                  Windmill 風車

                   

                   

                  パルメイラの風車と白ごはん

                   

                  懐かしのリスボアへと向かう。途中には、画家の武本夫婦が話をしていたパルメイラの風車小屋が見える。パルメイラとは、ポルトガル語で「やしの木」のことを言う。パルメイラの町は丘の上にあった。丘を登るにつれ「あそこに風車が、ここにも」と子供の頃、絵本で見たようなお伽の国の風景が展開する。風車には、何故か夢がある。

                            

                  近くで見る風車は、遠くで眺めた印象よりずっと大きくガッチリとしている。風車旗はボロボロなところをみると、今は使われていないようだ。小屋には人が住み着いているとみえ、窓にはカーテンがかけられ人の気配がする。「どんな人が住んでいるのか、住み心地はどうだろうか」興味津々尋ねてみたかったが、留守中で聞くことができなかった。

                   

                  向い側の丘にはポウザーダがある。宿泊客は、部屋からこの風車小屋を眺めてメルヘンチックな世界に浸るのだろうか。パルメイラからリスボアまでは、道幅も広く快適なドライブができる。テージョ河にかかるヨーロッパ最長のつり橋『4月25日橋』を越えると、もうリスボアだ。

                   

                  リスボアを出発してから今日までの走行距離は、2675.3キロ。日本を縦断する距離を旅したことになる。予約しているリスボアの定宿「ペンション・ナザレ」に約1ヶ月ぶりに戻る。これからはスーツケースを持ち歩くこともなく、なによりも我が家に帰ったような気分がしてホッとする。

                   

                  観光局のジョアナ女史に電話をして、予定していたアルガルベ地方の取材中止を伝える。奥村さんの体調が良くないからだ。今夜は、久しぶりに中華料理を食べることにする。この長旅中に頭のてっぺんから足の先までポルトガル料理がつまった感じがして、気分転換が必要だからだ。

                   

                  ペンション前の通り「アベニーダ・アウグスト・アギアール」の突き当たりに中華料理屋がある。余り美味しいとは思えないが、白いごはんが食べられるだけでも感激である。「日本食でなくとも、白いごはんだけでも食べたい」というのが3人の一致した意見だった。ポルトガル旅行をしてわかったことだが、食文化の国際化が日本のように普及していないことだ。

                   

                  リスボアやポルトなどの大都市では国際化してはいるが、地方では皆無だ。思い起こせば、私の子供の頃の日本も今のようにピッツァやハンバーグなどはなかった。天正少年使節がポルトガルを訪れた折、各地で歓待を受け、少年たちは体調を崩し苦労していたという話を聞くにつけ、私たちは時代の恩恵で、こうして中華料理を口にすることが出来るのだから幸せ者だ。

                   

                  夕食を終えてペンションに戻ると、私が何時も「インドの大男」と呼んでいる、お気に入りの男が暇そうにしてフロントに立っている。この男は、モザンビーク生まれのインド人2世で家族そろってポルトガルに移住してきたのだという。彼はペンション従業員の中で一番博学で、日本のことも新聞などで読み勉強している。

                   

                  天皇の新居はいくらかかったとか、クリントンが訪日歓迎レセプションで肉を箸でつまみそこねてポロッと落としたとか、エリツィンのワイフ・エライザが宮澤首相夫人の案内で市場を訪れ「なんと物が豊富なのか」とびっくりした話など、日本人でも見落としているニュースを説明してくれる。

                   

                  このペンションには3人の従業員がいるがすべてインド人で、なかでも彼が一番愛嬌があり話やすい。それに加えて彼は、私たちの頼りになる水先案内人だ。CDはロッシオ広場のカフェ・スイッサの隣店「カルバーリョ」で買う事、金製品は「ルア・デ・オウロ」という通りへ行け、インド料理はここが安くてお得だなど、親身になってアドバイスしてくれる。こんなに世話になりながら、私が勝手に付けたあだ名しか知らない。明日にでも正式な名前を尋ねることにしよう。

                  ポルトガルの窓から日本が見える No.39

                  2016.12.21 Wednesday

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                    ポルトガルの窓から日本が見える

                     

                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                     

                     

                     

                     

                    Gold street 黄金通り

                     

                     

                    最初で最後のお買い物ツアー

                     

                    「インドの大男」の名前を聞こうと思ったら、今日は大男のオフの日で、私の嫌いな若いぐうたら男がフロントにいた。今朝は「ムゼウ・デ・アズレージョ」(アズレージョ美術館)で撮影許可をもらっているので、のんびりはしていられない。

                     

                    取材目的の椿「ジャポネイラ」をデザインしたアズレージョ(タイル)があると聞いたからだ。奥村さんは、40分ほどかけて丁寧に撮影している。黄色とウルトラマリーンで17世紀に描かれた模様は、現代人が見ても新鮮で、今日でも十分に通用する感性を備えている。

                     

                    昼食はロッシオで昨晩に続き中華料理を食べる。日本では人気のないポロポロの外米も、白ごはんに飢えた私たちには宝物のように思える。ふりかけでもかけて食べたらおかずなんか何にも要らない心境だ。

                     

                    春子は仕事のために一足先に帰国するので、今日は買い物ツアーに出掛ける。春子は買い物となると俄然元気になる。大男のアドバイスに従って「ルア・デ・オウロ」で金銀製品のみやげものを家族や知人のプレゼントとして買うのだそうだ。金といえば日本では高価なイメージだが、ポルトガルでは手頃な値段で購入出来るので魅力だ。

                     

                    CDは高級品で日本の価格よりも遥かに高い。とりわけ新曲となると3400エスクードとベラボウに高い。日本ではポルトガル音楽のCDは手に入りにくいので、清水の舞台から飛び降りる積りで大枚を払い「ヌーノ・カマラ」と日本でも知られている「アマリア・ロドリゲス」の曲を買う。

                     

                    ポルトガルではイタリアの高級カシミヤセーターや金銀製品のほうがCDより安いのだから驚いてしまう。買い物から帰ってテレビのスイッチを入れると、エール・フランスがストライキに突入するというニュースが大々的に流れる。明日、春子は日本へ帰国する予定だが大丈夫だろうか。

                     

                    ポルトガルの窓から日本が見える No.40

                    2016.12.21 Wednesday

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                      ポルトガルの窓から日本が見える

                       

                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                       

                       

                       

                      Artisan of craft 工芸職人

                       

                       

                      サンタレンの「食と工芸の祭典」

                       

                      今日もポルトガル晴れで気分爽快。サンタレンで「ポルトガル・食の祭典」が開かれるというので出掛けることにする。春子はまだ寝ているようなので、お別れのメッセージをドアの下に入れておく。いよいよ彼女だけが帰国する。

                       

                      10時の約束なので2時間の余裕をみて出掛ける。道路も舗装され広く空いていたので、100キロの道程を1時間ちょっとで着いてしまった。町には着いたものの、ポスターも貼ってないので何処が会場なのかわからない。道行く人に尋ねると、例によって「あっ、それならあそこだよ」といとも簡単に応える。

                       

                      案内を信じて行ってみると、何処にも会場らしき場所が見当たらないばかりか家並みも少なくなっていく。ラテン系の人と付き合ったことのない奥村さんは「いいかげんなことばかり言って、無責任も甚だしい」とイライラしている。5人目で、やっとお目当ての場所に着いた。

                       

                      日本人は道を聞かれても知らない時は知らないと答えるが、ポルトガル人は何か言わないと悪いと思うようで「あっちだ、こっちだ」と必ず親切心から応えるのだ。「これもお国柄」とラテンの国、ブラジルで暮らしたことのある私は寛容でいられるのだが。

                       

                      会場は、町はずれの公園の一角にあった。10時の会場まで少し時間があるので、近くのバール(立ち飲みコーヒー店)で時間を潰すことにする。10時になっても門が開く気配もない。門番に尋ねると、「開場は12時です」と言う。あと2時間も待たなくてはならない。ラテンびいきの私でも、そんなには我慢できない。

                       

                      主催者と交渉して、写真だけでも先に撮らせてもらうことにする。あっさり許可も下り会場に入ると、ポルトガル各地からやって来た料理人や工芸職人が忙しそうに準備に取りかかっている。工芸コーナーに目をやると、カゴを編む人、刺繍をする人、革製品を作る人、様々だ。

                       

                      コルク樫で作った蜂蜜用の飼育箱は、ポルトガルならではの商品で実に面白い。料理コーナーでは、ミーニョ、セントロ、リバテイロ、アレンテージョ、ナザレ地方の自慢料理が出店されている。どれも美味しそうな匂いがする。