No.4 Lisboa,Setubal,Obidos,Santa Cruz,Penishe

2016.12.13 Tuesday 07:25
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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    旅は道づれ世は情け、されど君子危うきに近よらず

     

    Hitoshi & Mutsuko Takemoto 武本夫妻

    Hitoshi & Mutsuko Takemoto 武本夫妻

     

    先日、アルファマの「泥棒市」を訪れた際、通りがかった店で「土曜日の夜、ここでファドを聞かせるから5時においで」と言われたのを思い出す、そう、今日は土曜日。春子は、朝から興奮気味でファドの話題に終始。

     

    一方、私は生来の心配性に加え、ブラジルやアメリカでの23年間に渡る海外生活の教訓から「あの地区は夜になると街灯もなく真っ暗で人気もないので危険ではないか。昼間は、にこやかなあの人達が夜になると一転、怖い人に変身するのでは」とあれこれ考え臆病になり気が進まない。

     

    そんな私の性格のお蔭で、これまで無事に過ごせてこられたと自負している。最近は、無防備に渡航して事件に巻き込まれる日本人が急増している。奥村さんも海外生活経験者だけあって「行くのは止めよう」と言ったが、春子は「大丈夫ですよ、あのひと達はいい人ですよ」と信じきって疑わない。春子は、まだ未練があるらしくブツブツと文句をいったが万が一を考え、私たちの意見を押し通して取りやめることになった。「君子危うきに近寄らず」だ。

     

    今日、土曜日はセトゥーバル在住の日本人画家・武本比登志さんを取材に訪れることになった。セトゥーバルは、リスボアから南東へ約50キロ離れた港町である。昨日借りたばかりのルノー19に3人で意気揚々と乗り込んだのだが、近ごろオートマティック車しか運転していない奥村さん、ギッコン、バッタン、ガックンとギアチェンジの度にムチウチ症になりそうだ。

     

    私たちが泊まっているペンションから目と鼻の先にあるプラッサ・エスパニョーラまで悪戦苦闘の末たどりつく。エスパニョーラ広場は、ロータリーになっていて放射線状に道が分かれている。しかし、私たちが目指すセトゥーバルはおろか、方向を示す標識すら見当たらない。慌てた3人、「あっちだ、こっちだ」とそれぞれが言っているうちに、後方には車の列、「ビービー」とけたたましくクラクションを鳴らす音。

     

    奥村さんはアタフタするし、私はイライラ、あっという間にロータリーを2周してしまう。何人かに道を尋ね、やっとのことでセトゥーバルの方向を確認。リスボアの道路は、石畳で狭いぐにゃぐにゃ道や一方通行が多い。その上、やたらと不法駐車が目立つ。ダブル、トリプル駐車は朝飯前。

     

    ポルトガル人の運転は、さすがラテン系、ブラジル人と同様、車に乗り込むと人格が変わりFIレーサーよろしく滅多やたらにスピードを出す。普段のオットリとして温厚なポルトガル人からは想像できない。その人格の変貌は、子供の頃ウォルト・ディズニーのアニメで見たグーフィーを思い出す。

     

    話が脱線してしまったが、その後のドライブは順調で、1時間程で海の見える小高い丘にある武本さんのアパートに無事到着した。通りがかりに買い物袋をさげたおばあちゃんに「このアパートのどの棟に日本人が住んでいるか知りませんか」と尋ねると、「13番の3階だよ」と教えてくれた。武本さんは、このあたりで良く知られているようだ。

     

    武本夫婦は、笑顔で私たちを迎えてくれた。彼らの住むアパートは余り大きくはないが、新しく清潔で気持ちのよい住みやすそうなアパートである。ベランダや台所から海が見渡せるのも素晴らしい。

     

    「向かいに見えるのがトロイア半島だよ」と武本さんは指さす。夏は海水浴場となるリゾート地だ。武本夫婦は、ニューヨーク、中南米と旅して回ったすえ、ポルトガルに住むまではスウェーデンにも在住していた。画家といえばパリと誰でも考えるのだが、武本さんは、そんな俗っぽい人ではない。「少年のころ楽しく描いた絵をもう一度描きたい、ポルトガルには古きよき日本が今も残っている、それが私のモチーフ」と制作を続ける純粋な画家だ。

     

    夫人でエッセイストの睦子さんが、私たち3人に自家製のカレーライス、そして武本さんお気に入りのポルトガルワインをご馳走してくれた。ポルトガルに来てから毎日、塩辛い料理を食べていた私たちにとって、久しぶりのご飯は感激、ポルトガルワイン談議に花が咲いた。

     

     

    旅の始まり オビドス⇒サンタ・クルーズ⇒ペニッシュ

     

    Souvenir shop みやげもの店

    Souvenir shop みやげもの店

     

    今日は、いよいよ中世の町オビドスへの取材旅行の始まりだ。午前8時、朝食をとろうとペンションの4階にある食堂に行く。だが、食堂は真っ暗でフロントに人影はない。いつもと様子が違う、うろうろしているとペンションの従業員の中で一番グウタラな私の嫌いな若い男が大あくびをしながら出て来て「食事は7時30分からです、あと30分待ってください」と言ってボーっと椅子に座り込む。

     

    私は憤慨して「何いっているの、もう8時じゃないの」と彼をにらみつけた。すると「今朝の3時から冬時間なので、1時間早くなって今7時です」とシャーシャーと応える。「えっ何だと、それだったら前もって言え、1時間損しちゃったじゃないの」客を客とも思わぬ態度、まったく嫌な奴だ。

     

    仕方がないので真っ暗な食堂に3人で座り、旅のスケジュールを打ち合わせることにした。すると突然春子が「昨日洗濯して窓の外に干しておいた靴下が落ちちゃったの、どうしよう」と言い始め、打ち合わせどころではない。「早く下に取りに行けば」と私。

     

    「なんでそんな簡単なことがわからないの」と言いたかったけれど我慢する。春子は、暫らくして諦め顔で戻ってきた。「駄目だった、落ちた場所の周りに鉄格子が有って入れないの」靴下一足ぐらいと私は思うのだが、春子にとっては結構こたえている様子だ。そうしている内に8時、パンとミルク紅茶、お決まりの朝食。食事を終えていよいよ出発、「ペンション・ナザレ」ともしばしのお別れ。

     

    先日、セトゥーバル行きで悩まされた魔のプラッサ・エスパニョーラのロータリーも無事通過、と思いきや、地図にない町を次々と車は通り過ぎる。どうやらリスボアから郊外にぬける国道を途中から間違え、脇道にそれてしまったらしい。

     

    オビドスへの道は遅々として進まず、私は「ドライバーは運転する前に地図をよく見るべきよ」、奥村さんは「ナビゲーターの怠慢だ」と互いを非難、険悪なムードになる。その応酬の凄まじさに春子は、後部座席で小さくなってガイドブックを読むふりをしている。

     

    それでも途中から軌道修正をしながらオビドスに到着。遠くの小高い丘の上にオビドス城壁が見えてホッとする。オビドスの町は中世の城下町で城壁の内側に町がスッポリ入っている。クネクネと曲がった城内の道、まっ白な壁にブーゲンビリアの赤紫の花、とても可愛いいメルヘンチックな世界。春子は感激、トウのたった私には乙女チック過ぎて似合わず、奥村さんは無関心。オビドスは観光地なので外人客が多い。

     

    町の中心にあるポウザーダ(古い修道院や王宮をホテルに改装した建物)カステロは、とりわけ外国人で込み合っている。オビドス城外にある大きな石造りの教会、イグレージャ・セニョーラ・ペドラ。ここには観光客の姿もなく、厳粛なムードが漂う。

     

    奥村さんは俄然ハッスルしてシャッター音を響かせる、春子はつまらなそう。通りに目を向けると、突然、色とりどり100台余りの自転車の列、ロードレースをしているのだろうか、猛スピードで走り去って行く。

     

    原っぱでは、一匹のノラ犬がトボトボと歩く、ポルトガルの犬はなぜか覇気がない。中世の町オビドスを後にして、サンタ・クルーズに向かう。この町は、作家・壇一雄さんが執筆活動と療養をかねて滞在した町として日本人に広く知られている。町に着くとポルトガル人が私たちに「日本人の碑なら海岸沿いに有るよ」と尋ねもしないのに教えてくれる。

     

    日本で出版されたガイドブックには、ひなびた漁師町と紹介されているが、今はまるで江ノ島のようにホテルが雨後のたけのこのように乱立、リゾート化も甚だしい。彼の住んでいた白い家だけが、ひっそりと残されて昔のたたずまいを偲ばせていた。きっと壇一雄さんも、草葉の陰で苦笑していることだろう。期待はずれに私はガッカリした。

     

    夕暮れが迫るころ、ペニッシュの海岸線に出た。夕日に染まる大西洋の荒波、岩をも削らんばかりの強風、風化してサンドイッチを積み上げたようになった岸壁、強烈で神秘的な光景だ。ビュンビュン吹きつける風にさらされ、草むらの中に毛の細い白い犬がうずくまって寒さを忍んでいる。

     

    白毛は薄汚れボロボロで、おどおどした犬の様子から人間に苛められたに違いなく、クラッカーをやろうとしても警戒して、ヨロヨロと道の中央に逃げてしまい、やがて疲れてションボリと座り込む。犬が車にはねられてはと、クラッカーを岩陰に置くと安心したのか美味しそうに食べる。

     

    一方、奥村さんは強風の中、必死になって撮影を続ける。彼は、私が犬と遊んでいると思い「僕が仕事をして崖から落ちるかもしれないというのに」とブツブツ言うが、私たちは犬の命の方が気になる。その場を去る時、コンフェタリア「ナショナル」で貰った高級菓子のフルーツケーキをその犬にやって別れた。

     

    私たちは、今日の宿泊をペニッシュと決め、ペンションを探すことにした。街中の1軒目のペンションは高すぎて敬遠、2軒目で交渉成立。しかし、このペンションはリスボアのペンションに比べると安いが汚い。3人で一晩5500エスクード。勿論、トイレは共同で水が流れっぱなしなので、使用するたびに元栓を閉めなければならない。

     

    便器の下は漏れてきた水でビショビショ、おまけにトイレの真下が厨房なので用を足たすたびにフライドポテトの匂いが充満して油酔い、オエッとなるからたまったものではない。3階建のペンションの2階が私たちの宿泊する部屋、1階はバール(居酒屋とスナックが一緒になった店)で日曜日ともなると漁師で賑わい、飲めや歌へやの大宴会が始まる。

     

    奥村さんは、すぐにそのグループと合流、明日漁船に乗り撮影させてもらうことになった。そこまでは見事な交渉力を感心しのだが、その後が悪かった。親しくなった漁師の一人が、大切な商売道具のフラッシュをいじくりまわしてブッ壊してしまったのである。

     

    奥村さんは飲みすぎた酒で真っ赤な顔をして、「あー、ヤバイナー」と言って修理にあいつとめるが簡単には直りそうもない。それでもフラッシュの高電圧に感電しそうになりながらも、夜半までかかって何とか応急処置で使用できるようになった。明日、奥村さんは寝不足でキツイ一日になるだろう。

     

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