No.4 Le Mont St Michel,St Malo

2018.09.02 Sunday 08:54
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    フランス旅行顛末記

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    Le Mont St Michel モン・サン・ミッシェル

     

    Le Mont St Michel モン サン ミッシェル

    Le Mont St Michel モン・サン・ミッシェル

     

    2011年5月18日早朝、モン・サン=ミッシェル行きの TGV(新幹線)に乗るためにモンパルナス駅に向かう。駅講内は荷物を持った沢山の人々でごったがえしていた。パリの駅は東京駅と違って行先で駅が異なるので注意が必要だ。ブルターニュ地方に行く列車はモンパルナス駅から出発する。

     

    小さなキヨスクには30センチ以上もあるバゲットサンドが山のように積まれている。乗車前にチーズとハム入りのバゲットを一本ずつ買いこみ昼食に備える。TGV 車内は、ほとんど満席。パリ・モンパルナス駅から約2時間半で Rennes(レンヌ)に到着、そこからモン・サン=ミッシェル行きの大型バスに乗り換える。バスの乗車口で11.40ユーロの乗車券を買う。

     

    さすがに観光地に行く乗り物、日本人の母娘や大きなバッグを持った青年がいた。5月は観光シーズンが始まっているらしく、バスはいろいろな国から訪れた観光客で満員だった。バスは私達を乗せてどんどん海岸線に向かう。やっと遠くの方に豆粒大の小さな島が見えて来た。

     

    モン・サン=ミッシェルは江ノ島と同じだからと、耳にたこが出来るほど相棒から聞かされていた。バスはモン・サン=ミッシェル入口の真ん前に停車した。その反対側にも広大な駐車場があり、沢山の車で埋め尽くされていた。 以前は、こんなに近くまでは来られなかったらしいのだが、今は海を埋め立てて駐車場になっている。最近は、これが原因で潮の流れが変化し、砂がどんどん溜まって海が浅くなっているので、昔の姿に戻そうという運動が起こっている。現在は昔の姿に戻っているらしい。

     

    訪れた観光客で、もうデパ地下の食品売り場のような混雑だ。風情も何もあったもんじゃない。道幅も狭いのでよけい込み合っているように感じる。道の両側には、レストラン、おみやげ店、それにブルターニュ名物のガレットを売る店が軒を連ねる。まるで江ノ島だ。店によっては下手な日本語でガレット3箱で21ユーロなどと書いてある所もある。いかに日本人が、ここにお金を落としているのかが伺える。

     

    くねくねと曲がった石畳の路地を登ると、中腹にテラスがあって湾を一望出来る。遠浅の海が何処までも広がっていた。この日はとても暑くて汗がしたたり落ち頂上まで行く気にもならない。おまけに2つの小型スーツケースを両手に持ち、引きずりながらだから大変だ。

     

    相棒は写真撮影で駆けまわっている。のどが渇いたのでちょっと飲物とクレープを食べようとレストランに入ったが、クレープは昼食時には食べられないと追い出されてしまった。クレープが食べられるのは午後3時以降らしい。仕方なく飲物だけを買い、入口近くの公衆電話の下にあるベンチに腰掛けて人間観察をすることにした。

     

    そこに杖を持った老夫婦がやってきた。二人はもう80歳はとうに越えた感じのよい素朴な人達だった。海外に行くと急に社交的になる相棒が、早速彼らに「何処から来たのですか」と聞いた。すると「アンドラです」と答えた。相棒は「アンドラですか、懐かしいな」と言った。2人は「ヘエー、アンドラをご存知ですか」と言ってとても喜んだ。「アンドラといっても、ほとんどの人は何処にあるかを知らないんですよ」という話だった。昔、相棒はアンドラを旅して一枚の写真を撮っていたので鮮明に覚えていたのだった。

     

    アンドラ公国はピレネー山脈中にあるミニ国家で、フランスとスペインの国境に接している。歴史は古く8世紀にフランスのシャルマーニュ王によって設立されたが、2国にまたがっていたため、何時もフランスとスペイン間で争奪戦が行われていた。1278年に双方が和解して以来、フランスとスペイン両国の統治となっている。そのせいで国家治安は、フランス国家警察とスペインのバルセロナ警察が一年毎に交替で守っているというから面白い。

     

    言語はフランス語とスペイン語(カタルーニャ語)が通じるらしいが、私達が会った老夫婦はスペイン語で話していたので、私はポルトガル語とスペイン語をチャンポンにしたポルトニョールで会話した。 二人はとても熱心なカトリック信者らしく、足が悪いのにもかかわらず頂上に登り教会を見学してきたとのことだった。

     

    そんなに小さな国でも、3月11日の東日本大震災の津波のことを知っていて「大変でしたね、貴方のところは大丈夫でしたか」と心配をしてくれた。私達も日本人の友人がいますよと話していた。一時間ほど四方山話をして「Bon Voyage」と言って帰っていった。その後に静岡からやって来たという団体旅行のおじさんは、一方的に自分の事と買物のことばかり話し「さよなら」も言わずに去っていった。相棒は「失礼な奴だなあ」と怒った。人間観察は楽しいが、午後4時のバスを逃したらサンマロまでのバスは、もう今日はない。急いで乗り場へと向かう。

     

     

    St Malo サン・マロ

     

    St Malos Beach サン・マロの浜辺

    St Malo's Beach サン・マロの浜辺

     

    2011年5月18日、バスは Dol-de-Bretagne(ドル・ド・ブルターニュ)駅まで約30分、とても小さな駅だが1日1回パリ行きの TGV が停車する。そこからサン・マロに向かう。駅で待っていると、私たち2人の前に地元民らしきふっくらとした人の良さそうなおばちゃんが立って、興味深かそうに東洋人の会話に耳をそば立てていた。

     

    もちろん内容は判らないが、時々聞こえるホテルの名前や地名を聞いて、私が間違ったことを言うと、彼女が「それはマドレーヌと発音するのよ」と訂正してくれる。相棒が「地元の方ですか」と尋ねると「ええ、生まれも育ちもサン・マロよ」と答えた。観光客ではない数少ない地元民だ。「私達も今晩はサン・マロに泊まります」と返事をした。

     

    「サン・マロで美味しいレストランがあったら教えてくれませんか」と聞いてみた。彼女は5人の子供がいて共働きをしているから余裕がないのでレストランには、ほとんど行かないとのことだった。何処の国も生活は大変なのだと感じた。20分程でサン・マロ駅に到着。そこで彼女は「Bon Voyage」と言って去っていった。地元の人と話をするのは旅のだいご味でもある。

     

    駅でサン・マロ海岸にあるホテルまで歩いて行けるかどうか尋ねてみる。荷物もあるし、遠いとのことなのでタクシーに乗ることにした。タクシーで20分位のところに予約したホテルはあった。ホテル前は砂浜だった、波の音がザァーザァーと聞こえた。私がイメージしていたブルターニュの海とは違い、空はどんよりと曇ってひとっ子一人いない寂しい浜辺、とりわけ感動するものもなく、ホテルのまわりは閑散としていた。

     

    このホテルは海岸沿いにはあるが、宿泊費をけちったせいで安普請のホテルだった。室内は設計ミスらしく便座の前が異常に狭く座ると壁に頭と膝を打ちそうになった。ベッドの寝心地は良かったので救われた。荷物をおいて街を散策しようと、ホテル受付に「何処で食事が出来るのか」と尋ねてみた。すると彼は「旧市街に行けば何でもありますよ」と言って小さな地図をくれた。長い海岸線に沿って15分ほど歩くと昔は海賊が使用していたという要塞が見えた。

     

    サン・マロは、ブルターニュ地方の北東に位置し、突き出た半島にある。石畳の美しい城壁の町である。16世紀には王に認められた海賊達が横行していたといわれている。港には沢山のヨットや船が停泊し、中には観光客用の海賊船などもあり賑わっていた。眼の前に高くそびえる石の城壁に囲まれた旧市街がある。

     

    入ってみるとレストラン、おみやげ屋、などがギュウギュウづめに並んでいた。特にここは港町なのでシーフードレストランが多く、余り多すぎてレストランを選ぶのに苦労する。今まで、日本へのおみやげを一つも買っていなかったので、ここで調達することにする。母と数人の友人たちへのおみやげを買う。やはり無難なところでガレットの詰め合わせを買った。

     

    菓子店には、色とりどりのマカロンやブルターニュ名物のバターをふんだんに使ったクイニー・アマンを売っていた。デザートに二個購入。とてもリッチで美味しかった。歩きまわっていたら、夕食時間となり物色に物色をかさねてレストランを選んだ。私達は定食を注文、3種類の中から好きなものを選ぶシステムになっている。

     

    私は海の幸のグラタン、白身魚とサラダ、それにタルト・タタンとコーヒー。相棒はチーズの前菜、鴨のテリーヌ、少し硬いビーフステーキとフレンチフライ、それにフォンダンチョコラとカフェ・エスプレッソ。フルコースで1人17ユーロだ。レストランの雰囲気も良く、お値段もお手頃でとても美味しく大満足だった。

     

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    category:フランス旅行顛末記 | by:tanu-chan1945comments(0) | -
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