No.3 Paris

2018.09.02 Sunday 07:47
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    フランス旅行顛末記

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    パスポート盗まれる

     

    Atelier du Lunain 絵画アトリエ

    Atelier du Lunain 絵画アトリエ

     

    2011年5月16日、いよいよ今日からレンタカーを借りて4〜5日間の予定でブルターニュ地方に出かける。行き先はレンヌ、サンマロ、モン・サン・ミシェルだ。相棒は、モン・サン・ミシェルにはすでに行ったことがあるし、観光地なのでとても嫌がっていたが、私は一度も訪れたことがないので一度行ってみたいと話すと、彼は渋々承諾した。

     

    泊まりはサンマロあたりにして車でゆっくりと、あちらこちらに止まりながら行けばいいと思いホテルの予約もしていなかった。10時にレンタカーを予約してあるので、ハーツのあるモンパルナス駅に向かった。駅に着き大量の荷物をずるずると引っ張りながら店に入った。

     

    店内には小さなカウンターがあり、白人と黒人の従業員が接客していた。白人の若い従業員が「レンタカーですね」と言ったので、私は車の予約票を彼に手渡した。彼はコンピュータを見ながら「それでは、運転する人のパスポート、運転免許書、クレジット・カードをお願いします」と流暢な英語で話した。

     

    相棒はバッグの中に手を入れてガサゴソ探し始めたが、何度も「あれっ、あれっ」と繰り返し、何時までたってもパスポートも免許書も出てこない。私が「どうしたの?早く出してちょうだい」と言うと、相棒は「それが、確かにここに入れておいたのに無いんだ、おかしいな」と答えるだけ。私は「なくしちゃったの!」と詰問口調で相棒を攻めた。

     

    「そんなはずないよ、ちゃんとバッグに入れておいたんだ」と言った。「本当にそこに入っていたの?他のところ に入れた憶えはないの?」と私はますます語気を強めた。そういえば昨夜、大きなスーツケースは邪魔になるので旅行中預って貰うようクロードの家に置いて来た。多分その中に入っているに違いない。

     

    早速、クロードに電話をしてみるが留守番電話になっている。とにかく身分を証明するものが無ければ車は借りられない。相棒は慌ててクロード宅に置いてあるスーツケースを調べに行った。あればいいのだがと祈るような気持だった。私はレンタカー店で大量の荷物と一緒に待つしかなかった。

     

    時間はどんどんと過ぎてゆく。相棒はなかなか帰ってくる気配がない。2時間以上たって、やっとハアハアいいながら汗だくになって帰って来た。彼の話によると、クロード宅にいってみたが、やはり留守のようで入口でウロウロしていたら、先日ドアのコード番号が間違っていた時に救ってくれたクロードの友人にバッタリ出会った。

     

    事の次第を説明したら、それは一大事だとういうことになり、急きょアパートの知り合いを呼んで話し合いがホールで始まった。結局、クロード宅のドアの下に 伝言を書いたメモを残して戻ってきたとのことだった。これで今日は車は借りられない。クロードは何時戻って来るのかも判らない、万事休す。

     

    4時間以上も待たせてもらったレンタカー店を後にしてクロード宅に向かった。何しろ今日はブルターニュで泊まる予定だったのでパリでは泊まる所も行くところもない。彼女もまだ帰宅していないし荷物はあるしで動くことも出来ない。

     

    近くのベンチに腰掛ける、パリの街角に東洋人のホームレスが出現したかのようだ。二人でションボリ座っていると、相棒がちょっと様子を見てくるとブラブラと歩いて行ってしまった。まったく、パスポートを無くしてしまったというのに呑気なものだ。命をとられたわけではないし、パスポートは取りなおせばいいかと自分自身に言い聞かせてはみたものの、やっぱり腹が立つ。

     

    そこへ相棒がニコニコ顔で戻ってきて、クロードのアパートの真向かいにアトリエがあって、そこで写真をとらせてくれるので早く行こうとさそいに来た。大量の荷物をゾロゾロと引っ張ってアトリエへ。この場所はクロード宅の玄関を見渡せて格好の場所にある。中では3人のおばあちゃんが絵を描いていた。先生はマリアンといって50代のやさしそうな先生だった。

     

    話を聞いてみると以前クロードも彼女の生徒だったことが判り、急に親しみが湧いてきた。ことの顛末をマリアンに話すと「それは困ったわね、ここは夜9時まで開いているので、それまでは此処に居ても良いわよ」と言ってくれた。地獄で仏とはこのことだ。

     

    写真撮影も無事終わり、大量の荷物も預かってもらい安心したら、急におなかがすいてきた。考えてみたら今日は一度も食事をしていなかった。早い夕食を済ませ戻って来てもクロードは帰って来なかった。それから少したってマリアンが「あっ、クロードが帰って来たよ」といった。もう時計は6時をまわっていた。早速、荷物を運び入れ、預けてあったスーツケー スの中をひっくり返して調べてみたが、やはりパスポートは無かった。

     

    何処かで盗まれたに違いない。土曜日ベアトリースのアトリエに行った時か、それとも地下鉄の中か、いろいろ考えてみても後のまつり。結局、何処で盗まれたのか判らなかった。こうなったらブルターニュ旅行どころではない。パスポートが無いと日本にも帰れない。

     

    クロードが「今夜はうちに泊まって明日、日本大使館に電話をしてパスポート再発行の手続をしに行かないとね」と言った。楽天家のクロードは「私なんか、ベトナムとシンガポールで2度もパスポート盗まれちゃって」と自慢気に話した。

     

    「パスポートを盗まれるなんて何でもないわよ、また発行してもらえばいいんだから」とシャーシャーとしている。相棒は落ち込んでいた、昨日コンピュータを接続出来なかった以上に。パスポートが盗まれたことよりも、青春時代7年間過ごした、この大好きなパリでパスポートを盗まれたことがショックだった。明日は朝一番に日本大使館に行かなければならない。

     

     

    やっぱりブルターニュへ行こう

     

    Train depot 車庫

    Train depot 車庫

     

    2011年5月17日、相棒がパスポート、国際免許証、この旅のためにワザワザとったクレジットカード、すべてを盗まれてしまったので日本大使館に電話をする。大使館員は大変親切で丁寧に説明してくれた。まず、クレジットカードを止めること、次は所轄の警察署に行き盗難届を出し証明書をもらうこと。

     

    私達はアレジア地区にいたので、アレジア警察に行くことになる。その証明書を持って日本大使館に行けばパスポートの再発行が申請できるとのことだ。まず、クロードに警察署の場所を聞いて向かった。15分程で着くと、そこにはもう長蛇の列が出来ていた。黒人やアラブ系の人々が多い。

     

    フランスの警察署は一度に大勢の人を建物内に入れないので、暑くても寒くても外に並んで待たなければならない。入口の横に別のガラスドアがあり、婦人警官が立っている。よく観察すると、彼女と話をして列に並ばず中に入る人がいる。それを見ていた私は、ダメもとでガラスドアに駆けより、へばりついてトントンとたたいて婦人警官にアピールした。

     

    東洋人は目立ようで、彼女がやって来た。「どうしたのか?」と尋ねるので、実は相棒がパスポート等を盗まれて困っていることを伝えると、彼女はすぐにドアから私達を招き入れてくれた。ラッキー。 中に入ろうとすると、私達の前に並んでいた人が「何でお前達だけ特別扱いなのよ、不公平だ」と不満顔で叫んでいた。でも、警察が許可したのだからと、さっさと入る。

     

    受付で名前と訪れた理由を尋ねられ、廊下右側の小さな部屋に通された。若い小柄なキビキビとした婦人警官がやってきた。名前、国籍、住所、出生地を聞かれた。相棒が長野県生まれだと伝えると、長野という響きに彼女が反応した。

     

    「ナガノ、あのオリンピックが開催された、あのナガノね」と急に場がなごみ、ニコニコ顔になった。調書のスピードはますます上がり、数分で書きあげてしまった。「ちょっと待って、部署上役のサインが必要なの」といって出て行ったかと思うと直ぐに戻り、盗難届はあっという間に終了した。「Voila(ヴォアラ/さあ、どうぞ)」と言って書類を手渡してくれた。感謝の握手をして、その足で日本大使館へと向かった。

     

    日本大使館は Ave.Hoche(オッシュ通り)にある。相棒がいうにはパリに住んでいた1960年代後半から、この場所にあったという。建物の入口には、日本の旗がはためき、ドアを入ると物々しい空港のセキュリティイーと同じ機械が備え付けてあった。黒人係員に「すべての持ち物を台に乗せて」と言われる。ここを通ると、やっと入口の受付嬢と話すことが出来る。

     

    「パスポート盗難の件で来た」と彼女に伝えると、やっと内側からドアボタンを「ビー」と押し、もう一度外から私達がボタンをおして大使館内に入る。何個も鍵があるのは、やはりフランスらしい。中には仕切りのある机がたくさん並んでいた。入口のすぐそばには画像の悪いテレビが備え付けてあり、日本語放送が流れていた。

     

    旅券課で数枚の書類を渡された。誓約書、盗難届、パスポート再発行申請書などを書いて提出した。その時、大使館員が「パスポートをとるには、戸籍謄本か抄本が必要ですよ」と言った。えっ、あと一週間で帰国するし、おまけに相棒は天涯孤独の身、日本には頼める人もいない、物理的に無理。

     

    結局パスポートのかわりに渡航証明書だけを発行してもらうことにし、帰国してから戸籍謄本をパリに郵送することで解決した。これで、やっと一安心。少なくともフランスを出国して日本に辿りつくことが出来る。何故か、渡航証明書は帰国前日に発行されるという。というのも、その間にパスポートが見つかる可能性があるからだという。

     

    大使館員は「最近、日本人旅行者のパスポート盗難が頻発しているんですよ」と話していた。私が聞いた話だが、日本国パスポートは闇ルートでよい値段で売買されていると聞いた。貴重品は肌身離さずしまっておこう。これで、あとは帰国前日に大使館にくるのみ。これからどうしようかと考えた。一日遅れたが、やはりブルターニュまで電車で行くことに決めた。切符はモンパルナス駅で購入して、ホテルもついでに予約した。3日間の予定だ。やっとブルターニュへ出発。

     

    相棒はバッグの中に手を入れてガサゴソ探し始めたが、何度も「あれっ、あれっ」と繰り返し、何時までたってもパスポートも免許書も出てこない。私が「どうしたの?早く出してちょうだい」と言うと、相棒は「それが、確かにここに入れておいたのに無いんだ、おかしいな」と答えるだけ。私は「なくしちゃったの!」と詰問口調で相棒を攻めた。

     

    「そんなはずないよ、ちゃんとバッグに入れておいたんだ」と言った。「本当にそこに入っていたの?他のところ に入れた憶えはないの?」と私はますます語気を強めた。そういえば昨夜、大きなスーツケースは邪魔になるので旅行中預って貰うようクロードの家に置いて来た。多分その中に入っているに違いない。

     

    早速、クロードに電話をしてみるが留守番電話になっている。とにかく身分を証明するものが無ければ車は借りられない。相棒は慌ててクロード宅に置いてあるスーツケースを調べに行った。あればいいのだがと祈るような気持だった。私はレンタカー店で大量の荷物と一緒に待つしかなかった。

     

    時間はどんどんと過ぎてゆく。相棒はなかなか帰ってくる気配がない。2時間以上たって、やっとハアハアいいながら汗だくになって帰って来た。彼の話によると、クロード宅にいってみたが、やはり留守のようで入口でウロウロしていたら、先日ドアのコード番号が間違っていた時に救ってくれたクロードの友人にバッタリ出会った。

     

    事の次第を説明したら、それは一大事だとういうことになり、急きょアパートの知り合いを呼んで話し合いがホールで始まった。結局、クロード宅のドアの下に 伝言を書いたメモを残して戻ってきたとのことだった。これで今日は車は借りられない。クロードは何時戻って来るのかも判らない、万事休す。

     

    4時間以上も待たせてもらったレンタカー店を後にしてクロード宅に向かった。何しろ今日はブルターニュで泊まる予定だったのでパリでは泊まる所も行くところもない。彼女もまだ帰宅していないし荷物はあるしで動くことも出来ない。

     

    近くのベンチに腰掛ける、パリの街角に東洋人のホームレスが出現したかのようだ。二人でションボリ座っていると、相棒がちょっと様子を見てくるとブラブラと歩いて行ってしまった。まったく、パスポートを無くしてしまったというのに呑気なものだ。命をとられたわけではないし、パスポートは取りなおせばいいかと自分自身に言い聞かせてはみたものの、やっぱり腹が立つ。

     

    そこへ相棒がニコニコ顔で戻ってきて、クロードのアパートの真向かいにアトリエがあって、そこで写真をとらせてくれるので早く行こうとさそいに来た。大量の荷物をゾロゾロと引っ張ってアトリエへ。この場所はクロード宅の玄関を見渡せて格好の場所にある。中では3人のおばあちゃんが絵を描いていた。先生はマリアンといって50代のやさしそうな先生だった。

     

    話を聞いてみると以前クロードも彼女の生徒だったことが判り、急に親しみが湧いてきた。ことの顛末をマリアンに話すと「それは困ったわね、ここは夜9時まで開いているので、それまでは此処に居ても良いわよ」と言ってくれた。地獄で仏とはこのことだ。

     

    写真撮影も無事終わり、大量の荷物も預かってもらい安心したら、急におなかがすいてきた。考えてみたら今日は一度も食事をしていなかった。早い夕食を済ませ戻って来てもクロードは帰って来なかった。それから少したってマリアンが「あっ、クロードが帰って来たよ」といった。もう時計は6時をまわっていた。早速、荷物を運び入れ、預けてあったスーツケー スの中をひっくり返して調べてみたが、やはりパスポートは無かった。

     

    何処かで盗まれたに違いない。土曜日ベアトリースのアトリエに行った時か、それとも地下鉄の中か、いろいろ考えてみても後のまつり。結局、何処で盗まれたのか判らなかった。こうなったらブルターニュ旅行どころではない。パスポートが無いと日本にも帰れない。

     

    クロードが「今夜はうちに泊まって明日、日本大使館に電話をしてパスポート再発行の手続をしに行かないとね」と言った。楽天家のクロードは「私なんか、ベトナムとシンガポールで2度もパスポート盗まれちゃって」と自慢気に話した。

     

    「パスポートを盗まれるなんて何でもないわよ、また発行してもらえばいいんだから」とシャーシャーとしている。相棒は落ち込んでいた、昨日コンピュータを接続出来なかった以上に。パスポートが盗まれたことよりも、青春時代7年間過ごした、この大好きなパリでパスポートを盗まれたことがショックだった。明日は朝一番に日本大使館に行かなければならない。

     

    (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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    category:フランス旅行顛末記 | by:tanuchan1945comments(0) | -
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