ポルトガルの窓から日本が見える No.5

2016.12.12 Monday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Factory of Confeitaria Nacional コンフェタリア・ナショナルの工場

     

     

    苦あれば楽あり、楽あれば落とし穴あり

     

    今朝は7時30分に食堂集合なので早く起きた。というより寝つけなかったと言ったほうが正しい。私たちが泊まっている「ペンション・ナザレ」は、アヴェニーダ・アウグスト・アントニオ・アギィアールという、とてつもなく長い名前の大通りに面している。初日は飛行機など乗りもの疲れもあって熟睡したためか、さほど気にもならなかったが、昨晩は絶え間なく車の発信音が響き喧しく、おまけに地震のように揺れるのでたまったものではない。
     

    今日は、昨日訪ねた「コンフェタリアナショナル」の工場写真を撮りに出かける。ペンションのすぐ近くにあるメトロ・パルケ駅へと向かう。奥村さんはゴロゴロカートの上に荷物と三脚を重ねて置き、それをおんぶして歩く。私が面白がって「あっ、カニ族だ」と彼をからかっても、春子は世代が違いカニ族を知らないとみえてのってこない。
     

    メトロの下りエスカレーターは、あいにく故障中のため使用不可。東京駅総武線連絡通路のような、長く急な階段を延々と下ってやっとホームに着く。メトロ車内は薄暗く「これがニューヨークだったら怖いだろうな」と思う。電車は朝のラッシュで満員。奥村さんの背中の大荷物に、さすがに人のよいポルトガル人もイヤな顔をしている。10分程でロッシオ駅、広場の靴磨きのおじさんに「ナショナルというお菓子屋さんの工場があるルア・ド・ドゥケ通りはどこ」と尋ねる。

     

    ハンティングをかぶったおじさんは、山の方を指さして「あの階段を登った所だ」と応える。その方向を見ると、断崖絶壁に家々がへばりつくように建ち並んでいる。ロッシオ駅と工場を結ぶ道は、やっとひと一人が通れるか通れないくらいの幅の狭い階段がジグザグと絶壁の頂上に向かって伸びている。この急勾配、しんどさは登山なみだ。奥村さんは30キロ以上の荷物を背負い、ヨタヨタと登って行く。
     

    下って来る人も多く、道を譲り合いながら進むのでなかなか頂上まで登ることができない。登りきって平らな道に出ても、ポルトガルはブラジルの道と同じ石畳になっているので、奥村さんのゴロゴロカートも余り役にたたない。
     

    やっとの思いで、「ナショナル」の工場に着いた。黄色の石塀の間にある大きな木の扉を開けると、「ギィー」と乾いた音が響き渡る。なかに入ると、白衣に白頭巾姿の10数人の職人たちが忙しそうに働いていた。大きなボールの中には卵の白味が山と盛られ、自動泡立て機がものすごい勢いでグルグルと回転し、メレンゲを作っている。
     

    そこへ白髪の小柄なおばさんが、ニコニコしながらやって来た。彼女は「私が工場長のセレストレです」と自己紹介をした。彼女は現在77歳だそうだが、なんと、54年もここで働いていると言うのには、おったまげた。ここで働き始めたのは23歳の時からだそうだ。とても話し好きでよく喋る。こちらも負けじと質問を投げかける。入れ歯のせいか、なまりのせいか、時々彼女の言っている事がわからない。

     

    春子は、わずかに勉強したことのあるスペイン語で会話をしたくてたまらない。セレストレがスペイン語を解ると聞いて、突如スペイン語でのインタビュー開始。だが、初級程度の彼女の語学力では、まったく通じずパニック状態。自分で話すのを諦めた彼女は、私に取材に関係のないことまで知ろうと頼ってくる。私もイラだってきた。

     

    奥村さんのカメラ助手と通訳を一緒にこなすのは並み大抵のことではない。「質問は、撮影の前か後にまとめてくれ」と言いたかったが「旅はまだまだ続くのだ、角がたつといけない」とぐっと我慢した。
     

    春子は日本人が興味をもつ、誰でも知っているコンペイトウ、カステラの原形のポンデロー、そして鶏卵素麺の原形フィオ・デ・オーヴォなど、ありきたりのものにこだわっている。セレストレの好意でポンデローの作り方を見せてもらう。

     

    小太りの男が大きなボールに手を突っ込みケーキの材料を混ぜる。まず、黄味、砂糖、小麦粉を混ぜ、ドーナツ形の型に紙より少しうすい藁半紙(わらばんし)をひき、材料を流しこむ。それをオーブンに入れると出来上がり。
     

    小さなクッキー、ドッセ・デ・オーヴォ、瓢箪形のパンにジャムを塗ったクッキー、パステス、エンパナーダ、フルーツケーキ、結婚記念日用のケーキなど20種類以上のケーキが次々と出来上がり、台の上に並べられていく。そのスピードたるや日本人顔負けの機敏さで、黙々と話もせず働く職人の勤勉さには驚かされる。

     

    完成品はうやうやしく昔の大名が参勤交代に使ったような木箱におさめられる。箱の中は三段になっていて、そこにケーキやクッキーを壊れないように納める。
     

    工場の取材を終えるとセレストレは、工場の奥にあるオーナーの家を案内すると言い始めた。2代目から4代目までが、ずっとこの家に住んでいる。立派な家だ。ポルトガルではエリート中のエリートに違いない。現オーナーのドクター・ルイ・ヴィアナはとても品の良い男である。ドナ・セレストレはドクターの赤ん坊のころから面倒をみているので、彼をまるで自分の子供のように思って嬉しそうに彼のことを話す。家の中はドン・ペドロ5世様式のベッドや家具でうめつくされていて、まるで博物館のように整頓されている。
     

    ドナ・セレストレに別れを告げ元来た道を下って行くと、「ギッコン・バッタン」という音がする、間口1メートル30センチほどの小さな印刷屋さん。店の奥には、手刷りの印刷機、おばさんが忙しく手を動かしている。のんびりと、店を見学してからペンションに戻り、一休みしてICEPのネーヴェス嬢に会いに行く。彼女は私たちに素晴らしいニュースを知らせてくれた。
     

    なんと、これからの取材旅行の宿泊費をICEPやホテルの協力で無料にしてくれるという有難い話だった。思いがけない幸運な知らせに喜び勇んだ私たちは「今日の夕食は、ちょっと奮発してまともな物を食べよう」ということになった。近くのレストランでテーブルにつくと、ウェーターがすかさず生ハムとメロン、それに真っ赤にゆで上がった美味しそうなエビを注文もしていないのに運んでくる。
     

    フランス在住経験のある奥村さんが「もし、手をつけたらチャージされるぞ」と女2人を脅かした。食い意地のはった女2人の胃袋は、そんな言葉を聞き入れなかった。次にワイン、メインディッシュを注文した。ポルトガル代表料理のバカリャウ(たら料理)である。たらは、塩抜きが不十分でしょっぱくて食べられない、日本のレストランと違い量もベラボウに多い。
     

    やっと食べ終わり、勘定を払う段になって驚いた。何と、請求書が3人で8900エスクード。ボラレているのではと、請求書をよく見るとメインディッシュは1人前1200エスクードだが、注文せずに出てきた生ハムが980エスクード、ゆでエビにいたっては1800エスクードとなっている。3人ともギョッとなったが、食べたのだから支払わなければならないのは当然だ。キャッチバーで捕まった馬鹿な客の心境である。
     

    春子にいたっては、まだ旅の始まりだというのにアンゴラのフワフワのセーターを1万2千エスクードで買ってしまったので、今日の散財は割り勘の夕食代と合わせ1万5千エスクードにもなり、顔がひきつっている。
     

    外国人がレストランに行くと、この手で大枚を払わされることが多い。「クワバラ、クワバラ」。この事件をきっかけにして、オーダーしない料理がテーブルに出てくると喧嘩してでも返却することにあい努めた。

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