ポルトガルの窓から日本が見える No.46 

2016.12.23 Friday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Scenery face front Tejo river テージョ川を望む風景

     

     

    リスボア市内観光

     

    今日はレンタカーを返却する日だ。朝10時に車をピックアップに来ると言うのでペンションで待ったが、11時になっても一向に現れない。電話をすると先方は落ち着き払って「あっ、ペンションの近くの路上に停めておいて下さい、そのうちに取りに行きますから」と10時の約束など、全く忘れていて謝りもしない。私ひとりが、やきもきしていたので拍子ぬけする。

     

    「馬鹿もの!それなら昨日電話をした時になんで10時と言ったんだ」と怒ってみても、相手はラテン民族「さもありなん」と納得すると不思議なことに腹も立たない。一件落着したので、ペンション裏のエドゥアルド7世公園にあるエスツゥファ・フリア(植物園)の椿を見に出掛けたが、残念なことにまだ蕾で花は咲いていなかった。

        

    公園は広大なフランス庭園で手入された芝生が敷き詰められ、それが木々の緑と調和して美しい。この公園は英国王エドゥワルドのポルトガル訪問を記念して高台に造られたもので、ここからはポンパル候広場、サン・ジョルジュ城、テージョ河、リベルダージ大通りを眼下に眺めることが出来る。

     

    リベルダージ大通りには、銀行、航空会社、ホテルが建ち並んでいる。リスボアでは、中央分離帯に不法な二重駐車どころか四重駐車するほど車で溢れているが警官は側を通っても知らん顔、やはりラテンの国はおおらかだ。

     

    昼は、私たち行きつけのロッシオ広場近くにある中華レストランで食事をする。メニューは海老のチリソース、豚と野菜の炒め物、カレースープ、それに白いご飯である。デザートは奥村さんの大好物バナナ・フリッタ(バナナのでんぷら)で、ころもがカラメルでカリカリとしていて美味しい、大学いものバナナ版と思えばよい。

     

    帰りにICEP(ポルトガル観光局)のジョアナ女史の事務所に立ち寄ると、エールフランスのストが終わらず、日本へのフライトがキャンセルされていると言うのだ。「ストが長引けば予想外の散財になってしまう、どうしよう」私は気がきではない。奥村さんは動じず「それなら待つしかないな」と平然とした顔をしている。

     

    日頃せっかちな彼にしては、大きな変わり様だ。長期ポルトガル滞在でラテン気質がうつってしまったのかも知れない。そんなことを思い煩っていても仕方ないので、リスボアでまだ訪れていない場所を観光することにした。まずは、49番のバスに乗ってベレン地区へ。

     

    ベレン地区は1755年のリスボアの大地震でも被害を受けなかったので古い建物も沢山残り、栄華を誇ったポルトガル大航海時代を偲ぶことが出来る。そこにジェロニモス修道院がある。この修道院は1502年、マヌエル一世の時代に建築家ボアタクによって建設が開始されたマヌエル様式を代表する建造物である。

     

    ここに初めて礼拝堂を建てたのが航海王子エンリケであった。その関係から修道院前の岸辺は大航海時代における探検の船出の地ともなったのである。修道院と海辺の間には、アルブケルケ広場とインペリオ広場があり、その真ん中を電車が猛スピードで走りぬける。

     

    日本ならば軌道に柵があって当たり前だが、ここには何にもない上に電車がひっきりなしに通過するのでおちおち歩いてもいられない。危険なので地下道を通り抜けてインペリオ広場へとぬける。地上に出ると発見のモニュメントが目の前に見える。この碑は、エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に大理石で建てられたものだ。

     

    このモニュメントの右側には18世紀前半にテージョ河の船の出入りを監視する要塞として建てられたベレンの塔が建っている。モニュメントから塔まで目では近くにあるように見えるが、歩き出すと結構な距離である。私たちが訪れた時刻が夕方だったので塔の中には入れなかったが、カモメが夕日をあびて「ギャーギャー」と戯れる姿も一見の価値がある。

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