No.2 Lisboa

2016.12.12 Monday 15:33
0

     

    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    リスボア初日

     

    Funeral car 霊柩車

    Funeral car 霊柩車

     

    朝7時に目覚ましが鳴る。肌寒いので思わずスパッツをはいてしまった。部屋は大通りに面していて少々やかましい。7時30分に教会の鐘がなる。外はまだ真っ暗、今日のスケジュールはICEP(ポルトガル投資・観光・貿易振興庁)へ行く予定。この取材旅行はICEP東京事務所のバチスタ氏の協力で実現、リスボアに着いたら現地事務所を訪ねるよう手配してくれていたからだ。ICEP事務所のあるビルは新築の赤いビル、隣のビルは取り壊し中だ。

    観光部門広報担当のジョアナ・ネーヴェスに会う。私達の山のような質問に応えるあいだ、彼女は次から次へとタバコを吸う。もの凄いチェーンスモーカー。約2時間話しこみ、レンタカーを格安で借りることが出来た。30日間で21万エスクード、40日間で28万エスクード、ポルトガルのレンタカーは、アメリカのように安くはない。とりあえず40日間借りることにする。ジョアナの紹介ということで、これでもだいぶ安くなっているのだ、感謝感激。車種はルノー19。

     

    昼食は近所の『パステラリア・カタリーノ』(スナックや喫茶のような店)でとる。塩加減が良く美味しい。奥村さんと春子は子蛸と野菜煮込みを注文、私は、エスカロップ、デザートはレイチ・クレーメ(ミルクプディン)、2人は、プディン・デ・アロス(ライスプディン)を食べた。この店は官公庁街にあり、道路に長蛇の列が出来るほどの大繁盛。

     

    レンタカーを予約した帰りにビルの屋根を葺いている職人を見かける。その瞬間、奥村さんは職人が「危ないぞ」と止めるのも聞かず、もうさっさと屋根に登っている。屋根葺き職人は二枚の瓦を小さなドラム缶に入れ、一回ずつ上まで綱で引っ張り上げる原始的な方法、完了するまで約2ヶ月、親子職人、それに見習いの若い男の子が手伝い3人で葺いているらしい。

    私と春子は手持ち無沙汰、彼女は近くにあるカフェを偵察に行った。リスボアには排気ガス規制がないらしく、交通量の多い場所に立っていると喉がヒリヒリと痛くなる。

     

    私がかつて住んでいたリオのコパカバーナの大通りバラータ・リベイロを思い出す。リオの町のモザイクの石畳、家並など、いろいろな文化がポルトガルから海を渡ってブラジルに伝来していたのがはっきりとわかる。

     

    奥村さんが屋根から下りてきたので退屈していた私たちは「やれやれ」と、その場を移動しようと歩きだす。その時、信号が赤になり、シルバーグレーの大きなピカピカのワゴン車が停まった。後部はショーウィンドーのような大きな窓になっていて、1m以上もあるかと思われる赤、白、黄色のそれは色鮮やかな花輪が飾られている。

     

    私は奥村さんに「綺麗な車だから、写真とってよ」と頼んだ。即座に彼はカメラを取り出し「カシャ、カシャ」。私は嬉しくなってその車に手を振った。車に乗っている人達が私たち東洋人に気付き微笑みながら手を振って応えてくれた。その時、奥村さんが「あっ、霊柩車だよ」と私たちを諌めた。

    もしも、これが日本だったら何処の馬の骨か分からない者、おまけに変な外人が霊柩車に手を振ったりしたら不謹慎きわまりない行為だ。家族の誰かが亡くなったというのに、何と明るいのだろう。お国柄、宗教観の違いか。遺族がこれほど元気なら死者も安心して天国に行くことができるだろう。

     

    昼食後、フェイラ・デ・ラドラ(泥棒市)へ行く。くねくねと曲がった細い道を登って行くと、そこには地面いっぱいに布をひろげ、その上にところ狭しとガラクタ、本当のガラクタで日本のごみより酷いものも有るが、みな大事そうにキチンと並べて売っている。

     

    その辺を散策していると大声で会話をしている人達の声が聞こえる。ふと見ると一軒の店の中で4,5人のポルトガル人がゆうゆうと昼間なのにお喋りに興じている。奥村さんが取材をしたいと言い出し、了解を取りつける。店の中は馬具、戦争に使われた潰れたヘルメットや銅製品などが天井・壁いっぱいにぶら下がっている。店内は薄暗いが、とても清潔。誰が主人だかわからないが、皆ニコニコと愛想がよく、話し好きで歌好きのファジスタ(ファドを歌う人)だと言う。

     

    土曜日の5時にこの店でファドを聞かせるから来いとの事、近所の人を集め土曜日ファド会を開いているらしい。金曜日と土曜日はファドレストランで歌うらしく、きっと上手いのだと思う。また会う事を約束して別れた。

     

    もう日も暮れ、ケーブルカーに乗って帰ろうと思ったが、時刻表も持ち合わせておらず何時来るやも知れず、市電をおとなしく待って帰ることにした。だが、30分経っても市電は来ない。せっかちな私たち日本人は、狭い道を通り抜けるおびただしい車の排気ガスで段々喉が痛くもなりイライラして来た。

     

    その上、7歳位の女の子が春子にずうっと話かけている。その度に春子が「なんて言ったの」と私に通訳を求めてくるので、たまったものではない。女の子はお構いなしにしゃべり続ける。ああ、疲れた。結局、市電を待ちきれずタクシーで帰る。

     

    夜は節約すべく、近くのスーパーで買い物、ポルトガルに来て初日なので奮発してワインも買った。1390エスクードもしたので美味しいと思ったがペッペッと吐き出したい程まずい。貧乏性の奥村さんが仕方なく飲みほしたが酷いワインだった。

     

    ちなみにポルトガルのビールは120エスクード、ジュース(日本の一番小さいサイズ)が150エスクードでビールの方が安い。ビール好きな人にとっては有難い価格だ。

     

    夜は奥村さんの部屋で3人で食事。春子はもう日本を懐かしがって大切なインスタント味噌汁をすすっていた。奥村さんは日本から持ってきたモロコシスナックを何時ものように食べている。春子が「奥村さんはお菓子好きなんですね」と感心したように話かけるが、奥村さんは重い荷物(カメラ機材)の為にぐったりとなり、反応が鈍い。48歳の老体にはこたえるらしい。なにしろ、30キロほどもある機材を1人で一日中かついでいるのだから。もうじきレンタカーを借りるので楽になると思うが。

     

    3人とも運転は出来るが、あいにく車はマニュアルでオートマチックではない。オートマチックに慣れ親しんでいる春子と私には運転する自信もなく、奥村さんだけに42日間頼ることになりそうだ。日頃、彼は疲れると直ぐ目が充血したり痛くなったりする人なので、少々心配。

     

     


     

     

    リスボアの取材先で

     

     

    Market 市場

    Market 市場

     

    あっという間にリスボアにきて2日が過ぎた。昨日は一日中事務的な仕事しか出来なかったので、今日はいろいろと取材をしなくては、スムーズに事が運ばず焦りを感じる。

    奥村さんは、昨日訪ねた「パステラリア・カタリーノ」で繁盛具合をカメラにおさめに出掛け、かれこれ3時間を経過、粘っこく取材をしている。カタリーノの主人・デビッドさんは、45歳というが10歳以上も老けて見える。彼は無愛想な男であったが、取材のお礼にTシャツを2枚あげると、満面に笑みをうかべた。

     

    「今日の昼食は軽く」と思ったが、結局、「パステラリア・カタリーノ」でしっかりと食べることになってしまった。撮影のためにバカリャウ(たら)と肉料理、それにコールドプレート、スープなど。またも散財。

     

    奥村さんが頑張っている間、私と春子は散策をしながら歩いているとインテリアの店に出くわした。店員は暇そうに店の中をノンビリと見回している。別件取材で日本からポルトガルへ渡ったといわれる椿の花をさがしていたので、その店員に聞いてみることにした。彼女の名前はワンダ、上品な中年女性である。

     

    彼女が言うには、ポルトガル北部のカステロ・ブランコに群生していて、ジャポネイラと呼ばれている事を教えてくれた。そして「リスボア市場も、ここから直ぐのところにあって面白いから行ってみるといいわ」と勧めてくれた。

     

    奥村さんの撮影も終わったので、私たちはワンダが教えてくれた市場に行くことにした。インテリアの店を出て、すぐ前にある大通りをつき当たると、白い大きな壁が見えた。そこがリスボア市民の胃袋を満たす市場である。3メートルの高さはゆうにあると思われる壁が延々と続く、まるで監獄のようだ。

     

    でも、中に入ると市場は活気に溢れ肉、野菜、花、チーズ、雑貨など、一番賑っているのが何といっても鮮魚売り場である。なぜか売り子はおばちゃんばかり、愛想よく私たちにアジやイカを見せつけて売りつけようとする。同じ建物の右側には小さなレストランがある。多分、おばちゃん達で昼は賑わうのだろう。

     

    私はトイレに行きたくなり捜し出す、あまり綺麗ではないが仕方がない。バタンとドアが勢いよくしまった。用を足してアッと気が付くと、なんとドアの内側に取っ手がないではないか、確かに入る時にはあったのに。そうなのだ、外側にはあるが内側には初めからなかったのだ。一度扉をしめてしまうと、もう中からは開けられない仕掛け。

     

    これこそ本当の雪隠づめ。そこで力まかせにドアを押してみるが、まったく反応なし。今度は「ドンドン、ソッコーロ(助けて)」とドアを叩いてみた。しかし、誰も応答してくれない。5分程経って、やっと魚屋のおばちゃんに救出される。ヤレヤレ、本当にお粗末の極み。

     

    昼からは、コンフェタリア(お菓子屋)の取材。取材候補として「スイッサ」と「ナショナル」という老舗の菓子店を現地で手に入れたガイドブックからピックアップ。「ナショナル」の方がこじんまりとしていて、日本人好みなので決定。

     

    「ナショナル」の主人は、4代目で元貴族ではないかと思われるほど品の良い紳士、いつもニコニコとして愛想がすこぶる良い。彼の名前はルイ・ヴィアナ。そして面白いことに彼から手渡された名刺には獣医と書かれていた。不思議に思って尋ねると「獣医になるつもりで学校へ行ったが家業を継ぐことになってしまった」と説明してくれた。どうりで店員たちが、彼のことをドトール(ドクター)と呼ぶわけだ。撮影もトントン拍子で、奥村さんも春子も大喜びであった。おまけに帰りに1人に1箱ずつ、1代目がフランスから持ち帰ったという三ヶ月型のフルーツケーキパンをいただき、何とお礼をいって良いものやら。ルイさん、ありがとう。

     

    この後、リスボア市内のバス、市電、ケーブルカー、メトロ乗り放題のパス「パッセ・トゥリスチコ」を買う。1人4日間で1350エスクード、せいぜい使わないともとが取れない。というわけで、早速37番カステロ行のバスに飛び乗り、サン・ジョルジュ城へと出発。

     

    モザイクのガタガタ道をでっかいバスが道一杯に走って行く。サン・ジョルジュ城に着くと、春子が城の上のギザギザになっている城壁まで登りたいと言いだす。今日のハードスケジュールで疲労困憊している上に、みるからに観光的過ぎる風景に奥村さんも私も気が進まなかったが春子のたっての願いもあって、やむをえず付き合うことにした。

     

    急な階段を何段も登ってたどり着いてみると、そこには何も無かった。春子は盛んに「ダマサレタ、ダマサレタ、松本城と同じだ」と訳のわからない事をブツブツと言う。この城は少々変わった城で、誰が飼っているのか、庭には孔雀がウロチョロ、真っ暗な石の部屋には、ニワトリやカラスが不気味に私たちを見つめる。

     

    9月末のポルトガルは、午後8時になっても陽が沈まず明るいので、気が付くともう11時になっている。そのかわり朝は7時になっても夜が明けない。

     

    今日9月23日、『パッセ・トゥリスチコ』の有効利用のため、エレトリコ(市電)に乗って終点まで行って見る事にした。28番のエレトリコはバイロ・アルトまで行く。それぞれのエレトリコの車両にはユニークなデザインが描かれている。私たちの乗った車両には、赤いベースにダリのようなどじょう髭を生やした男の絵が描かれていた。私は勝手に「ダリ電車」と呼ぶことにした。

     

    奥村さんと春子、そして私は、らくちんな「ダリ電車」でどんどん終点へと向かった。外はもう昼間とはうって変わって寒くなり、春子は「寒い、寒い」を連発する。仕方がないので、「ダリ電車」の始発駅のロッシオ駅まで戻り、昼に目を付けておいた中華料理店に飛び込む。

     

    私は、マッシュルームスープ(200エスクード)、奥村さんと春子は、卵スープ(220)エスクードをたのみ、牛肉のピリピリ、焼き飯、焼きソバなどを皆でオーダー。春子はそれでも足りないらしく、春巻きを注文しそうになり、私たちに「予算オーバー!!」と制されて取りやめた。春子は小柄で華奢なわりには食欲は旺盛である。

     

    (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

    著作権法に従って無断転載を禁止します。記事を利用される方はご連絡お願い致します。

    Comment