ポルトガルの窓から日本が見える No.3

2016.12.12 Monday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Funeral car 霊柩車

     

     

    リスボア初日

     

    朝7時に目覚ましが鳴る。肌寒いので思わずスパッツをはいてしまった。部屋は大通りに面していて少々やかましい。7時30分に教会の鐘がなる。外はまだ真っ暗、今日のスケジュールはICEP(ポルトガル投資・観光・貿易振興庁)へ行く予定。この取材旅行はICEP東京事務所のバチスタ氏の協力で実現、リスボアに着いたら現地事務所を訪ねるよう手配してくれていたからだ。ICEP事務所のあるビルは新築の赤いビル、隣のビルは取り壊し中だ。
     

    観光部門広報担当のジョアナ・ネーヴェスに会う。私達の山のような質問に応えるあいだ、彼女は次から次へとタバコを吸う。もの凄いチェーンスモーカー。 約2時間話しこみ、レンタカーを格安で借りることが出来た。30日間で21万エスクード、40日間で28万エスクード、ポルトガルのレンタカーは、アメリカのように安くはない。とりあえず40日間借りることにする。ジョアナの紹介ということで、これでもだいぶ安くなっているのだ、感謝感激。車種はルノー19。

     

    昼食は近所の『パステラリア・カタリーノ』(スナックや喫茶のような店)でとる。塩加減が良く美味しい。奥村さんと春子は子蛸と野菜煮込みを注文、私は、エスカロップ、デザートはレイチ・クレーメ(ミルクプディン)、2人は、プディン・デ・アロス(ライスプディン)を食べた。この店は官公庁街にあり、道路に長蛇の列が出来るほどの大繁盛。

     

    レンタカーを予約した帰りにビルの屋根を葺いている職人を見かける。その瞬間、奥村さんは職人が「危ないぞ」と止めるのも聞かず、もうさっさと屋根に登っている。屋根葺き職人は二枚の瓦を小さなドラム缶に入れ、一回ずつ上まで綱で引っ張り上げる原始的な方法、完了するまで約2ヶ月、親子職人、それに見習いの若い男の子が手伝い3人で葺いているらしい。
     

    私と春子は手持ち無沙汰、彼女は近くにあるカフェを偵察に行った。リスボアには排気ガス規制がないらしく、交通量の多い場所に立っていると喉がヒリヒリと痛くなる。

     

    私がかつて住んでいたリオのコパカバーナの大通りバラータ・リベイロを思い出す。リオの町のモザイクの石畳、家並など、いろいろな文化がポルトガルから海を渡ってブラジルに伝来していたのがはっきりとわかる。

     

    奥村さんが屋根から下りてきたので退屈していた私たちは「やれやれ」と、その場を移動しようと歩きだす。その時、信号が赤になり、シルバーグレーの大きなピカピカのワゴン車が停まった。後部はショーウィンドーのような大きな窓になっていて、1m以上もあるかと思われる赤、白、黄色のそれは色鮮やかな花輪が飾られている。

     

    私は奥村さんに「綺麗な車だから、写真とってよ」と頼んだ。即座に彼はカメラを取り出し「カシャ、カシャ」。私は嬉しくなってその車に手を振った。車に乗っている人達が私たち東洋人に気付き微笑みながら手を振って応えてくれた。その時、奥村さんが「あっ、霊柩車だよ」と私たちを諌めた。
     

    もしも、これが日本だったら何処の馬の骨か分からない者、おまけに変な外人が霊柩車に手を振ったりしたら不謹慎きわまりない行為だ。家族の誰かが亡くなったというのに、何と明るいのだろう。お国柄、宗教観の違いか。遺族がこれほど元気なら死者も安心して天国に行くことができるだろう。

     

    昼食後、フェイラ・デ・ラドラ(泥棒市)へ行く。くねくねと曲がった細い道を登って行くと、そこには地面いっぱいに布をひろげ、その上にところ狭しとガラクタ、本当のガラクタで日本のごみより酷いものも有るが、みな大事そうにキチンと並べて売っている。

     

    その辺を散策していると大声で会話をしている人達の声が聞こえる。ふと見ると一軒の店の中で4,5人のポルトガル人がゆうゆうと昼間なのにお喋りに興じている。奥村さんが取材をしたいと言い出し、了解を取りつける。店の中は馬具、戦争に使われた潰れたヘルメットや銅製品などが天井・壁いっぱいにぶら下がっている。店内は薄暗いが、とても清潔。誰が主人だかわからないが、皆ニコニコと愛想がよく、話し好きで歌好きのファジスタ(ファドを歌う人)だと言う。

     

    土曜日の5時にこの店でファドを聞かせるから来いとの事、近所の人を集め土曜日ファド会を開いているらしい。金曜日と土曜日はファドレストランで歌うらしく、きっと上手いのだと思う。また会う事を約束して別れた。

     

    もう日も暮れ、ケーブルカーに乗って帰ろうと思ったが、時刻表も持ち合わせておらず何時来るやも知れず、市電をおとなしく待って帰ることにした。だが、30分経っても市電は来ない。せっかちな私たち日本人は、狭い道を通り抜けるおびただしい車の排気ガスで段々喉が痛くもなりイライラして来た。

     

    その上、7歳位の女の子が春子にずうっと話かけている。その度に春子が「なんて言ったの」と私に通訳を求めてくるので、たまったものではない。女の子はお構いなしにしゃべり続ける。ああ、疲れた。結局、市電を待ちきれずタクシーで帰る。

     

    夜は節約すべく、近くのスーパーで買い物、ポルトガルに来て初日なので奮発してワインも買った。1390エスクードもしたので美味しいと思ったがペッペッと吐き出したい程まずい。貧乏性の奥村さんが仕方なく飲みほしたが酷いワインだった。

     

    ちなみにポルトガルのビールは120エスクード、ジュース(日本の一番小さいサイズ)が150エスクードでビールの方が安い。ビール好きな人にとっては有難い価格だ。

     

    夜は奥村さんの部屋で3人で食事。春子はもう日本を懐かしがって大切なインスタント味噌汁をすすっていた。奥村さんは日本から持ってきたモロコシスナックを何時ものように食べている。春子が「奥村さんはお菓子好きなんですね」と感心したように話かけるが、奥村さんは重い荷物(カメラ機材)の為にぐったりとなり、反応が鈍い。48歳の老体にはこたえるらしい。なにしろ、30キロほどもある機材を1人で一日中かついでいるのだから。もうじきレンタカーを借りるので楽になると思うが。

     

    3人とも運転は出来るが、あいにく車はマニュアルでオートマチックではない。オートマチックに慣れ親しんでいる春子と私には運転する自信もなく、奥村さんだけに42日間頼ることになりそうだ。日頃、彼は疲れると直ぐ目が充血したり痛くなったりする人なので、少々心配。

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