No.15 Gafete,Castelo Branco,Estremoz

2016.12.17 Saturday 19:59
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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    セラ地方の井戸端会議と羊飼い

     

    Shepherds 羊飼い

    Shepherds 羊飼い
     

    この2日ほど体調を整えるために粗食で過ごしたので、私たちは再び元気を取り戻した。今日は、これからヴィゼウを出発してグァルダ、コヴィリャンを経由、カステロ・ブランコへと向かう。またしても道に迷ってしまったようだ。こうなると小さな町や村は地図にも載っていないので役に立たない。四苦八苦しながらも、人に道を何度も尋ねながら行くことにする。

     

    セイアと言う分岐点の町で道を聞いた時には、野次馬が沢山集まって「ああでもないこうでもない」とケンケンガクガクの討論になってしまった。井戸端会議のおじさん達は勿論のこと、兵隊さんまでやって来る始末。車を動かすこともできない。何と言うことはない、どちらの方向に行ってもコヴィリヤンに行けることが判った。

     

    私たちは気の向くままに方向を決め進むことにした。セイアからコヴィリャンに向かう山道は穏やかで、自動車もほとんど通らず快適。撮影も快調だ。山のテッペンでは、ドイツ人らしいバックパック姿の2人づれが雨に濡れながら歩いている。バスも通りそうにない道を、これから延々と次の村まで歩くのだろうか。さすがはヨーロッパ人、そのたくましさに私は驚愕した。

     

    山の中腹では、羊の首に付けられた鈴の音が「カランコロン」とノンビリと響き渡る。コヴィリャンは、ポルトガルで一番高い所にある町だ。岩山にビッシリとへばり付くように家が建ち並ぶ。その家と家を無数の坂道が糸のように結んでいる。この町にも特産の美味しいチーズがあると聞いていたので取材をしようと試みたが、あいにくチーズ作りのシーズンはすでに終わってしまったとのこと。諦めてカステロ・ブランコへと車を走らせる。

     

    途中、70歳と45歳の羊飼いに出会う。70歳のおじいちゃん羊飼いは「この仕事を50年やっているよ」と話す。パトロンに雇われて230頭の羊を一日中追って野山を歩き回っているのだそうだ。おじいちゃんに寄り添うように大きな犬と、これから牧羊犬としてデビューするという顔の毛がポアポアした青い目の子犬が愛嬌をふりまく。この可愛い子犬も羊に近づく不審者を撃退するために歯をむき出す逞しい犬に成長するに違いない。

     

    おじいちゃんとおじさんの手は乾燥した足のかかとのようで、とても固そうでヒビ割れている。雨が降っても、雪が降っても、どんなに辛くても毎朝4時から夜9時まで羊の世話やチーズ作りをするのが彼らの仕事だ。ポルトガル人は本当に働き者、顔にも手にも極上の年輪を感じる。

     

    カステロ・ブランコに近づくと平坦な道が続く。観光局でレジテンシャル(ペンション形式の旅籠)を4500エスクードで紹介してもらう。オーナーはインド人である。政情不安のアンゴラやモザンビークからポルトガルに移住して来るポルトガル語圏のインド人が大勢いる。両国とも、かつてポルトガル植民地だったのが起因している。

     

    そして、何故かペンションなどの宿泊施設を家族や親類で経営しているケースが多い。私たちが泊まった宿だけでも、3軒目である。奥村さんの体調は再び崩れ、食欲がない。一方、春子は元気いっぱい。「お腹がすいて、すいて」と奥村さんの気もちを察することもなく、無神経にはしゃぐ。世代の違いと言ってしまえばそれまでだが、この自己中心的神経とまわりの様子を気にも留めない図々しさは、たいしたものだ。

     

     

    由緒ある町・エストレモス

     

    Antique bed of Pousada Santa Isabel ポウザーダ・サンタ・イザベルのアンティーク・ベッド

    Antique bed of Pousada Santa Isabel ポウザーダ・サンタ・イザベルのアンティーク・ベッド

     

    連日の強行スケジュールで、普段でも細身の奥村さんが一層痩せ始めた。ここ2〜3日、スープとサラダしか食べずに400キロ以上ドライブし続けて来たのだから。奥村さんの体調を象徴するかのように、景色も南下するに従って緑の牧草は消え、荒涼とした岩と灰色の平原が地平線の彼方まで続く。

     

    その荒野には、オリーブの木と皮を剥ぎ取られて赤茶けたコルクの木が雑然と植えられている。木々の合間には牛や馬の群れが三々五々たむろし、羊は首に付けた鈴を「カランコロン」と鳴らしている。この春に生まれたばかりの子羊は、母羊に寄り添うようにして歩く。

     

    予定では、あと2日でリスボアだ。到着したら宇宙人の春子は仕事の都合で帰国するのだという。彼女には悪いが、私は付き合うのに疲れはてた。写真を撮りながら、午後2時頃エストレモスに到着。今日の走行距離は200キロ。私たちにとってギマランイスに続いて2度目のポウザーダ泊まり、興味津々。

     

    「ポウザーダ・サンタ・イザベル」は要塞として造られた立派な建物だ。かつて、ここにデニス王とイザベル王妃が住んでいて、慈悲深い王妃は民衆からとても崇拝されていた。アレンテージョ地方は土地も痩せていて、人々の生活は貧しく苦しかった。王妃はデニス王の反対にもかかわらず、民を思い親身になって援助をしたという。

     

    また、ヴァスコ・ダ・ガマは15世紀にインド諸島航海の際、この要塞でマヌエル王より国王の旗印を与えられたとのことだ。この建物は歴史的に由緒があり、1970年にポウザーダとして改装され現在に至っている。

     

    私の部屋は28号室で廊下の奥の角部屋、ポウザーダ前にあるイザベル王妃の像が窓から良く見渡せる。ベッドは17世紀の赤いビロード屋根のついたアンティーク・キャノピーベッド、このタイプの家具はインド・ポルトゲーザと呼ばれている。独特な「ねじりかりんとうの形」のデザインはインドとポルトガル感覚をミックスして出来た賜物だ。このアンティークベッドは高さが腰のあたりまであるので、よじ登らなければならない。

     

    部屋は古い素材を活かすためか、木枠窓は歪んで閉まりも悪い。その夜、運悪く暴風雨に見舞われた。窓の隙間から風がビュンビュンと唸り声をあげる。雨は降るし、近所には食べる所もなさそうなので、仕方なくポウザーダで食事をすることにする。ギマランイスではジーンズ姿で食事をして、恥ずかしい思いをした奥村さんはスーツにネクタイで食堂にやってきた。

     

    ところがギマランイスのポウザーダとは違い雰囲気はとてもカジュアル、せっかく盛装をして来た奥村さんは残念ながら浮いてしまっていた。食事も終わり久しぶりにテレビをつけて、ガチャガチャとチャンネルを回していると日本語放送をしているではないか。しかし、電波が遠いのか暴風雨のせいか、ほとんど映像は映らず音だけが聞こえ、まるでラジオである。

     

    不思議なことに、コマーシャルの時間になると突然映像が鮮明になるのにはまいった。そういえばセトゥーバルの画家・武本比登志さんが「今はポルトガルでも日本のテレビが見えるんですよ」と言っていたのを思い出した。

     

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