No.13 Chaves,Viseu

2016.12.16 Friday 13:52
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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    山の中のブレーメン音楽隊

     

    Wagon & boy 荷馬車と少年

    Wagon & boy 荷馬車と少年

     

    午前8時、シャーベスに向けて出発。ヴィラ・レアルまで23キロのクネクネ道を走る。乗っている私たち、運転している奥村さんも気もちが悪くなるほどの急カーブだ。やっとヴィラ・レアルとホットしたのもつかの間、またまた曲がりくねった道が続く。一体どこまでクネクネ道が続くのだろう。

     

    シャーベスまでの道程は100キロに及んだが、結局まっすぐな道はほとんどなかった。すでに体調を崩している3人は、シャーベスに到着した頃には頭がボーッとしてヨレヨレになっていた。早速、観光局に行ってみると、リクエストしてあった取材の話など聞いていないというのだ。

     

    「100キロもの距離を車に酔いながら駆けつけたのに」私たちの連絡不足もあっただろうが、腹立たしくドッと疲れが出てきた。怒りが収まらない私たちはシャーベスにいるだけでも気分が悪くなり、すぐにラメゴに引き返すことにした。

     

    私たちの心は晴れなかったが悪いことばかりではなかった。ラメゴに帰る山道で「ブレーメンの音楽隊」そのままの父子に出くわすことが出来た。彼らはロバに荷車を引かせて、荷台のうえには家財道具一式に加えて一羽の茶色い鶏までも乗せている。

     

    荷車に細い紐でつながれた黒い子犬が雨でびしょ濡れになり、寒さのためブルブルと身体を震わせている。ロバも急な坂道を登るたびに垂れ下がっているたづなが擦れるらしく、わき腹が赤剥けて血がにじみ出ている。茶色の穴だらけのセーターを着た8歳ぐらいの男の子は、傘もささず雨の中をゆっくりゆっくりと3頭の馬を引いて歩く。

     

    後方には父親がもう1頭の馬を引いている。その馬は大切な商品なのだろうか、透明ナイロンシートが背中にかけられている。ビュンビュンと通り抜ける車を避けるように、彼らはモクモクと急な山道を目標の村へ向けて歩き続ける。

     

    写真を撮らせてもらったお礼に、私が持っていた日本製のワッペンを男の子にあげると、恥ずかしそうな笑みを浮かべ父親に嬉しそうに見せる。その様子は貧しいながらも素朴で信頼の糸で結ばれた父と子の姿に見え、日本の消え去った懐かしい風景として深く心に残った。

     

    今日でラメゴともお別れ。お世話になったジョルジ家族を夕食に招待することにした。だが不覚にもジョルジに先手をうたれ、逆に招待されることになってしまった。車に乗せられて着いた先は、なんとジョルジの家だった。彼の家は中古で買ったマンション、3寝室、2バス、台所、居間で構成され、こぎれいで住み易そうな住まいである。

     

    数年前に400万円ぐらいで買ったそうだが、いまでは1千万円以上出さないと買えないだろうと彼は言う。日本なら、この値段でこのサイズの物件はとうてい買えないだろう。子供2人の4人家族で、夫人のマリア・ジョアンは教育熱心なお母さんだ。思いもよらぬポルトガル家庭訪問、マリアの美味しいホームメイドの夕食とワイン、BGMはポルトガル音楽、今日起こった嫌なことも、みんなふっ飛ばしてくれる。「ジョルジいろいろお世話になりました、ありがとう」 

     

     

    ポルトガルの東洋人

     

    Sheep farming 牧羊

    Sheep farming 牧羊

     

    ラメゴからヴィゼウに向かう。出発前、わざわざジョルジがお別れに来てくれた。本当に人の好い、人情深い人だ。昨夜は3人とも、ジョルジの家からホテルに戻ると気分が悪くなり吐いてしまう。昼に食べたサンドイッチがあたったものと思われる。奥村さんはとりわけ酷く、一睡も出来なかったようだ。

     

    だが気分が悪くてもプロ意識旺盛な奥村さんは、途中、羊の大群を連れて山中を歩くおじさんと山上で出会うと撮影を始める。1時間半ほどでヴィゼウに到着。体調が悪いためか、馬鹿に長く感じる。観光局の紹介で4つ星ホテル「グラン・ヴァスコ」にチェック・イン。ホテルは夏のシーズンも終わり閑散としている。オフシーズンのためか暖房もカットされ、各部屋にポータブル・ヒーターを備えて暖を確保している。

     

    フロントには、東洋人の顔付きをした50歳代の男とでっぷりとした恰幅の良い男がいる。東洋人風の男が私たちの重いスーツケースを3つ、ハーハー言いながら運んでくれた。荷物1個につき200エスクードのチップを差し出す。その男は「あなたは、中国人か」と私に尋ねる。

     

    その質問は、逆に彼にしようと思っていたところだ。その男は「自分はポルトガル人で中国へは行ったこともない」と言う。何代か前の祖先がマカオからポルトガルに移住した中国人の子孫なのだろう。ポルトガル北部、内陸部まで来ると東洋人はおろか、世界中どこに行っても出会う中国人にすら会うことは無かった。

     

    彼は私が中国人だったら、中国事情でも聞こうとでも思ったのだろうか。言うなれば、私は彼にとってパンダ的存在なのである。体調が相変わらず良くならない3人は、今日は休日にすることにした。一番体調の悪い奥村さんは、昼も夜も日本から持ってきた日本茶とミソ汁だけをすすっている。その夜、私たちは、これまでの疲れと緊張から一日中眠りこけた。

     

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