ポルトガルの窓から日本が見える No.22

2016.12.16 Friday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Inside of Pousada ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタ館内

     

     

    ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタ

     

    今日の宿泊は、ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタだ。判りにくい、くにゃくにゃ道を山のほうへと登る。方向オンチの私がナビゲーターを務めたので道を間違い、またもや奥村さんと私は険悪なムードとなる。それでも、やっとのことでポウザーダに着きホッとする。

     

    このポウザーダの外観は、これといった特徴はないが室内はとてつもなく広い。天井も高くすべて石造り。長い回廊の左右には、いかにもかつて修道院であったことを偲ばせる木製の重厚な扉が延々と並び、私たちの足音が「コッ、コッ」と回廊に反響して、厳粛にして壮観な気もちにさせてくれる。客室とロビーには16〜17世紀頃の家具が備え付けられ、これもまた優美そのもの。

     

    ギマランイスは「ジャポネイラ」と呼ばれる日本伝来の椿の花が沢山あることで知られる。某雑誌社から「ジャポネイラ」の取材を依頼されていたので期待して訪れたのだが、時期が早すぎ蕾がやっと付いたところで花を見ることは出来なかった。

     

    喉が渇いたのでカフェに行ってみると、そこに客の姿はなく、ウェイターが手もち無沙汰でボーッと立っている。頼んだレモンティーを運んできた彫の深い顔立ちでハンサムなウェイターは、ポルトガル語を話す東洋人が珍しいとみえ、暇にまかせて私たちの所から離れようとしない。

     

    「このポウザーダの宿泊客は、オランダ、イギリス、フランスからの顧客が主体だが、10月、11月になると70パーセントがアメリカ人でポルトガル人はほとんど来ない」と私たちに説明してくれた。 なるほど、ウェイターが懐かしそうにポルトガル語を話す理由がわかった。彼にとって職場では毎日のように外国語を使わねばならず、母国語ポルトガル語に飢えているのだ。

     

    春子は、私の側でコニャックをすすっている。私が「そのブランディーおいしい」と尋ねると、「ブランディーじゃないです、コニャックです」と真面目な顔で応える。私は「コニャックとブランディーは同じものじゃないの、コニャックはフランス語でブランディーは英語だと思うけど」と言い返すと、春子は驚いた顔で「エッ、本当ですか」と叫ぶ。飲みっぷりは一人前だが、彼女の無知さかかげんには呆れ果てる。しかし、これが当世日本の若いお嬢さんの現実なのかも知れない、我慢、我慢。

     

    夜はポウザーダのレストランで、ジーンズ姿の普段着でお食事。レストランでは一組のアメリカ人夫婦をのぞき、他の人たちは盛装している。典型的な日本人奥村さんは、しきりに周りを気にしながら「部屋に戻って背広を着てこようかな」ときまり悪そうだ。私もジーンズをはいていたが、他人がどう思おうが別に悪いことをしているわけでもなし、ぜんぜん気にもならない。3人の中では、春子が一番ましな格好をしている。皮肉なことに、外見と中身のマナーがここでは逆転してしまった。

     

    テーブルについてオーダーした料理を待つ。テーブルには、40センチ程のピカピカに磨かれた鏡のような顔まではっきりと写る銅皿がすでに置かれている。ウェイターがハム、チーズ、オリーブなどの前菜をサービスし始める。さて、この銅皿の上で前菜を食べるか否かで3人ケンケンガクガクの討論が始まった。結局、他の金持ちそうな夫婦の真似をすることになった。ハムは直接盛り皿から取っているのを見て、やっと安心して食べ始める。

     

    もしも、このピカピカの銅皿にベッタリとハムの形がつきでもしたら教養のない東洋人ナンバーワンとして、ずっと語り継がれることになってはと、なかなかリラックスして食事も出来ない始末。やはり私たちは田舎者なのかも知れない。

     

    このポウザーダの料理はこれまで食べたポルトガル料理のなかでは一番私たちの口にあった。バカリャウ(たら)も一度揚げてあるので、皮がカリカリとして香ばしく肉厚で塩加減は最高のあんばい。「本物のポルトガル料理を食べるならここだ」と私は確信した。

     

    奥村さんは、相変わらず食欲が無くスープだけをすする。春子は何故かフォークとナイフを持つとエビや肉を皿から飛ばすクセがある。勿論、この日に食べた鱒も飛ばしたのは言うまでもない。

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