No.11 Braga,Guimaraes

2016.12.15 Thursday 19:52
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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    ヴィラポウカ伯爵

     

    Picture of Pacheco パシェッコ遺影

    Picture of Pacheco パシェッコ遺影

     

    大好きなポンテ・デ・リマを離れ、ギマランイスへ向かう。私たちは途中の町、ブラガに立ち寄ることにした。ポンテ・デ・リマで会ったフランシスコ・パシェッコの子孫だというアブレウ・デ・リマ伯爵から「最近、ブラガの親戚のヴィラポウカ伯爵宅で日本で殉死したフランシスコ・パシェッコのデスマスクから写した絵が発見された」との情報を得たからだ。

     

    城のように大きな邸宅に着いたが、何処が入り口なのだかわからない。大声で叫んでみるが、余りの大きさに声も届かない。仕方なしに階段のある2階の扉まで上って声をかけると、やっとヴィラポウカ伯爵の母親が現れた。今、伯爵は仕事で他国に駐在しているとのことで不在ではあったが、彼女が親切に案内してくれた。

     

    屋敷のなかは少々カビ臭かったが、ここも博物館のようで面白い。木造りの30センチほどの十字架が書棚の中央に見える。彼女は「これがフランシスコ・パシェッコの遺骨です」と言いながら十字架に仕組まれた小さな4つの窓を指さした。そこにはパシェッコの小さな骨の一部、薬草と木のかけらなどが窓から見えた。彼女は「何でも撮って下さい」と大変協力的で有難いのだが、話し出すと止まらなくなるのにはまいる。

     

    この屋敷がある敷地には、17世紀に建てられたプライベイト・チャペルがあり、今でも神父さんが毎日曜日に来て礼拝をしているそうだ。時が流れても変わらぬ宗教心には驚かされる。教会内の装飾はターリャ・ドラードと呼ばれる金泥細工が主体で、壁には3人の天使が空中を舞っている絵が描かれている。金箔が少々剥げ落ちてはいるが、なかなかなものである。

     

    お目当てのデスマスクから写したパシェッコの絵を見せてもらった。西坂の事件を思い出すと、日本人として申し訳ない気もちでいっぱいだった。私たちは、心ゆくまで取材をして、満足感に浸りながらギマライスへと向かう。

     

     

    ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタ

     

    Inside of Pousada ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタ館内

    Inside of Pousada ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタ館内

     

    今日の宿泊は、ポウザーダ・サンタ・マリーニャ・ダ・コスタだ。判りにくい、くにゃくにゃ道を山のほうへと登る。方向オンチの私がナビゲーターを務めたので道を間違い、またもや奥村さんと私は険悪なムードとなる。それでも、やっとのことでポウザーダに着きホッとする。

     

    このポウザーダの外観は、これといった特徴はないが室内はとてつもなく広い。天井も高くすべて石造り。長い回廊の左右には、いかにもかつて修道院であったことを偲ばせる木製の重厚な扉が延々と並び、私たちの足音が「コッ、コッ」と回廊に反響して、厳粛にして壮観な気もちにさせてくれる。客室とロビーには16〜17世紀頃の家具が備え付けられ、これもまた優美そのもの。

     

    ギマランイスは「ジャポネイラ」と呼ばれる日本伝来の椿の花が沢山あることで知られる。某雑誌社から「ジャポネイラ」の取材を依頼されていたので期待して訪れたのだが、時期が早すぎ蕾がやっと付いたところで花を見ることは出来なかった。

     

    喉が渇いたのでカフェに行ってみると、そこに客の姿はなく、ウェイターが手もち無沙汰でボーッと立っている。頼んだレモンティーを運んできた彫の深い顔立ちでハンサムなウェイターは、ポルトガル語を話す東洋人が珍しいとみえ、暇にまかせて私たちの所から離れようとしない。

     

    「このポウザーダの宿泊客は、オランダ、イギリス、フランスからの顧客が主体だが、10月、11月になると70パーセントがアメリカ人でポルトガル人はほとんど来ない」と私たちに説明してくれた。 なるほど、ウェイターが懐かしそうにポルトガル語を話す理由がわかった。彼にとって職場では毎日のように外国語を使わねばならず、母国語ポルトガル語に飢えているのだ。

     

    春子は、私の側でコニャックをすすっている。私が「そのブランディーおいしい」と尋ねると、「ブランディーじゃないです、コニャックです」と真面目な顔で応える。私は「コニャックとブランディーは同じものじゃないの、コニャックはフランス語でブランディーは英語だと思うけど」と言い返すと、春子は驚いた顔で「エッ、本当ですか」と叫ぶ。飲みっぷりは一人前だが、彼女の無知さかかげんには呆れ果てる。しかし、これが当世日本の若いお嬢さんの現実なのかも知れない、我慢、我慢。

     

    夜はポウザーダのレストランで、ジーンズ姿の普段着でお食事。レストランでは一組のアメリカ人夫婦をのぞき、他の人たちは盛装している。典型的な日本人奥村さんは、しきりに周りを気にしながら「部屋に戻って背広を着てこようかな」ときまり悪そうだ。私もジーンズをはいていたが、他人がどう思おうが別に悪いことをしているわけでもなし、ぜんぜん気にもならない。3人の中では、春子が一番ましな格好をしている。皮肉なことに、外見と中身のマナーがここでは逆転してしまった。

     

    テーブルについてオーダーした料理を待つ。テーブルには、40センチ程のピカピカに磨かれた鏡のような顔まではっきりと写る銅皿がすでに置かれている。ウェイターがハム、チーズ、オリーブなどの前菜をサービスし始める。さて、この銅皿の上で前菜を食べるか否かで3人ケンケンガクガクの討論が始まった。結局、他の金持ちそうな夫婦の真似をすることになった。ハムは直接盛り皿から取っているのを見て、やっと安心して食べ始める。

     

    もしも、このピカピカの銅皿にベッタリとハムの形がつきでもしたら教養のない東洋人ナンバーワンとして、ずっと語り継がれることになってはと、なかなかリラックスして食事も出来ない始末。やはり私たちは田舎者なのかも知れない。

     

    このポウザーダの料理はこれまで食べたポルトガル料理のなかでは一番私たちの口にあった。バカリャウ(たら)も一度揚げてあるので、皮がカリカリとして香ばしく肉厚で塩加減は最高のあんばい。「本物のポルトガル料理を食べるならここだ」と私は確信した。

     

    奥村さんは、相変わらず食欲が無くスープだけをすする。春子は何故かフォークとナイフを持つとエビや肉を皿から飛ばすクセがある。勿論、この日に食べた鱒も飛ばしたのは言うまでもない。

     

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