ポルトガルの窓から日本が見える No.20

2016.12.15 Thursday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Grape harvest ブドウの収穫

     

     

     

    ポルトガルの故郷・ミーニョ料理とワイン、そして親日家

     

    ミーニョ地方には、興味深く面白い取材対象が沢山ある。雄鶏人形で有名なバルセロスとブラガへ向かうつもりでいたが、予定を変更して1日延ばすことにする。午前中は郷土料理の取材だ。昨日泊まったホテル・サンタ・ルジアのマネージャーと交渉、ホテル内レストランの撮影許可をとる。

     

    今日の料理はアロス・デ・サラセーリョ、豚の血で炊いた肉入りごばんとロジョン(豚と豚レバーをソテーしたものを、もう一度オーブンで焦げ目を付けたもの)だ。この地方の郷土料理はレバーやモツをよく使う。大皿には豚の肉とレバー、黒ずんだ豚の血入りごはんの山盛り。豚のオンパレードだ。

     

    好き嫌いの多い奥村さんと春子、その中でも大の苦手がレバーである。2人は撮影中から「この料理、あとで私たちが食べなくてもいいよね」と春子。「高そうな料理だから、きっとお客さんに出すんだよ。でも、なんでよりによってレバー料理なのだろう、まいったなあ」と奥村さんもボソボソ応える。

     

    こんな会話を交しながら30分程で撮影は終了した。そこへホテルマネージャーがやって来て「せっかく作ったので、どうぞ召し上がって下さい」という。奥村さんと春子は何ともいえない表情で顔を見合わせ、心なしか頬も引きつって見える。奥村さんは「失礼なことになるから断ってくれないか」と日本的感覚で私にマネージャーに伝えろという。「単に、苦手のレバーを食べたくないだけではないか」こんな言い訳を通訳するわけにはいかない、私は彼の申し出を却下した。

     

    覚悟を決めた2人は、折角のご馳走だからと豚肉を食べ始めた。「あっ、レバー」口中に強烈な匂いがひろがる。奥村さんも春子も言葉もなく、ひたすらグラスの水を飲み続ける。結局、私は3人分を1人で食べるはめになった。ワインで流し込みながら頑張ってはみたが、なにせポルトガル料理の3人前、尋常な量ではない。半分食べたところでギブアップ。マネージャーに無礼を詫びて逃げるようにその場を立ち去った。奥村さんと春子は外に出ると、まるで監獄から出所したかのように晴ればれとした表情に変わった。よっぽど辛かったのだろう、ちょっと可哀想な気もする。だが、その様子は滑稽でもあった。

     

    ヴィアナ・デ・カステロを後にして、ポンテ・ド・リマへ向かう。到着早々、ポルトガル伝統レースの店やフィルグラーナと呼ばれる金細工の店を撮影する。その後、アブレウ・デ・リマ伯爵の邸宅へ。彼の祖先は、フランシスコ・パシェッコといって日本との国交復活を求めて来日したポルトガル最後の使節代表であった。

     

    パシェッコの使節61人は、鎖国令に反した罪人として1640年長崎県西坂で火あぶりの刑で無念の死を遂げたのであった。にもかかわらず、パシェッコの子孫、ジョアン・ゴメス・デ・アブレウ・デ・リマ伯爵と、その母は「パシェッコは殉死です、今の日本の繁栄は彼の死が無駄でなかったことを証明するもの、日本は私たちの誇りです」と暖かく迎えてくれた。

          

    ジョアンは小太りでおとなしそうな学者肌、母親は立て板に水を流すごとく話まくる対照的な親子だ。ジョアンはパシェッコの研究家でもあり、すでに3冊のパシェッコに関する本を出版している。この本には、17世紀から18世紀にかけての教会の歴史、戦争、革命、生活、そして死にいたるまでのドキュメントなどが記載されている。本職のエンジニアの仕事をするかたわら、リスボアの国立図書館やアジューダ図書館に通っては、古い資料の翻訳にあたっているそうだ。

     

    彼は、1757年にジョアン・クラセットが日本史について書いた2冊のオリジナル本を見せてくれた。貴重な資料を手にとって容易に触れることが出来るのもポルトガルならではのことだ。日本だったら権威ある学者でないと、ページをめくることすら許されないであろう。「歴史はみんなのもの」そんな深いポルトガルの文化意識が羨ましく思えた。

     

    かつて隆盛を極めた貴族の末裔も、今では高い税金に苦慮。その対策としてアビタソン・デ・ツリズモ(民宿経営)をしている人が多い。アブレウ・デ・リマ邸も例外ではない。先祖の文化遺産を維持するのも容易なことではなさそうだ。

     

    さて話をもとに戻すが、パシェッコは死後、ビアットという高い位を与えられ、ポンテ・デ・リマの教会に祭られるようになった。パシェッコの名は、あまり日本では知られていないが、ここでは英雄的存在なのだ。子孫が、これほどパシェッコや日本を誇りに思って親日的なのだから、日本もポルトガルとの友好を深めるために、もっときめの細かい文化交流を考えるべきである。

     

    伯爵に別れを告げ、この地区のブドウ収集所・アデガを見学。入口には髭を蓄えた威厳のある男の銅像がデンと飾られている。この人こそが、過日訪問したアウロラ伯爵の先祖でアデガを設立した人でもある。今年のポルトガルのブドウ収穫期は10月1日から10月15日で、この間にすべてのブドウを摘まなくてはならないので、みな大忙しだ。

     

    今日は10月7日、収穫まっただ中である。今年は雨が多かったので少々遅れているものの、1日に人間が5〜6人は入ることができると思われる大きな樽が600樽ほど持ち込まれるのだから凄い。樽は熟れたマスカット色のブドウや紫色のブドウの甘い香りでいっぱい。トラック、トラクター、馬車などに積まれた樽に溢れんばかりのブドウが次から次へと近隣の村から運ばれてくる。

     

    日本のゴールデンウィークの高速道路も顔負けである。車両の列は、道のズーッと向こうまで延々と続く。「今、午後4時だが、この行列が解消するには明朝3時までかかるよ」とアデガの工場長はいう。 このアデガでは、まず長い棒を樽につっこんで糖度とアルコール発酵度を測る、その計量の結果に応じてブドウを分類する。

     

    次に種別したブドウの軸、皮、種を取り除き、それを5段階に分けて圧縮する。圧縮されてできたブドウ液はモストと呼ばれ、1〜2段階で出来たブドウ液をラグリマ、3〜5段階で出来たものをモスト・プレンサと呼ぶのだそうだ。

     

    そのモストにイーストを加え直径2メートルもあるローラーで液体を漉す。ローラーにはフォシルという白いチョーク状の形をした型が付けられている。この機械を通して精製されたブドウ液は透明になり、樽につめられて涼しい貯蔵庫に寝かされる。これがアデガのプロセスだ。

     

    この地方の特産ワインは、ヴィーニョ・ヴェルデでアルコール度は12度。このワインは土壌から自然に生まれた乳酸菌を含んでいるので悪酔いをしないそうだ。帰り際に試飲をさせてもらう。たまたま見学に来ていたスウェーデン人夫婦と共に10種類以上のワインを飲んだが、試飲といっても1種類でコップ1杯分も注いでくれるので、すっかり酔っ払ってしまった。ビーニョ・ヴェルデは発泡性のある、さわやかな口あたりの素晴らしい白ワインであった。

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