ポルトガルの窓から日本が見える No.19

2016.12.15 Thursday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Scenery from pousada ポウザーダから望む風景

     

     

     

    ミーニョ地方 腐っても鯛

     

    ポルトから北上してヴィアナ・デ・カステロへ向かう。道路標識は、なぜかヴァレンサと書いてあり、もう少しで間違った道に入るところだった。あとで知ったのだが、今はヴィアナ・デ・カステロをヴァレンサと呼ぶそうだ。

     

    12時40分、ヴィアナ・デ・カステロ到着。観光局へ行くように言われていたので、早速訪ねたが事務所は閉まっている。12時30分から14時30分までは、昼食時間で昼休みとドアに書いてある。ポルトガルの昼休みは、日本と違ってゆっくり2時間とるのが普通だ。

     

    私たちも昼食をとることにした。性懲りもなく私たちは、またも3人前を注文してしまい量が多すぎて3人とも降参。腹ごなしにと市内観光をする。レストランの直ぐ隣にみやげもの屋があり、その店先では2人の若い女の子がポルトガル民族衣装には欠かせない赤や緑の原色のスカーフに縁飾りを付けている。

     

    16歳と19歳の針子に尋ねると、通常、この地方では14歳から15歳ぐらいから恋愛をして17歳から20歳の間に結婚するのだと言う。昔の日本を思い出す。彼女たちの給料は1ヶ月3万エスクードと安給料だが生活費も安いので大丈夫なのだろう。

     

    昼休みも終わり観光局を訪ねる。観光局といっても僅か3人の小所帯。その中の事務員で愛想のよいアナが、私たちが泊まるホテル・デ・サンタ・ルジアへ案内してくれることになった。観光局からホテルまでの道のりは、さほどの距離はないが丘に登る道がくねっているので、さっき食べた昼食のせいで吐き気をもよおす始末。奥村さんはコインブラでの大晩餐会から食欲不振、春子もだいぶ弱っていて「水がキシキシする」とコピーライターらしからぬ意味不明な表現をする。

     

    ホテル・デ・サンタ・ルジアは、ポウザーダで小高い山の上にある。静かな緑に囲まれた落ち着いたホテルだ。各部屋のバルコニーからサンタ・ルジア教会が眼下に見え、その向こうにはリマ河が滔々と流れる光景は素晴らしい。小さな町だがとても風光明媚で住み易そうだ。

     

    この地方はミーニョ地方と呼ばれ、ポルトガルの伝統工芸や民俗衣装でもよく知られている。ポルトガルの中でも一番ポルトガルらしい地方かもしれない。ヴィアナ・デ・カステロから車で30分ほど行くとポンテ・デ・リマがある。これまで旅をしたポルトガルの中では一番気に入った。名称通り、リマ河のほとりにあり、16世紀から17世紀に栄華を極めたところで、伯爵や公爵の子孫が今でも沢山住んでいる。

     

    私たちはアナに紹介されたマリア・ド・セウに会い、ミーニョ地方の伝統工芸品を見せてもらった。ファドで使われるギターラ・ポルトゲーザと呼ばれる丸いギター、多彩な刺繍が施された民族衣装など素晴らしいものばかりだ。

     

    マリア・ド・セウは、キャリアウーマンを絵に描いたような人で、ポルトガルのことなら何でもわかる物知り、しかもエネルギッシュ、ポルトガル人である事と仕事に誇りを持っているのが伝わってくる。彼女の話は薀蓄(うんちく)もあり、なかなか興味深い。その話のひとつに黒ずくめの婚礼衣装があった。

     

    この地方の婚礼衣装は真っ黒でカラス色である。黒いスカート、それに刺繍をほどこした白いパフスリーブのブラウス、布は厚手のフェルトのような生地。スカートはファスナーの変わりに紐で結ばれ、中年太りをしてからもはけるのでとても経済的。それにもう一つ驚かされたのは、婚礼衣装と死装束を兼用するというのだ。女性が亡くなると葬式の衣装として白装束のかわりに、婚礼衣装を着せるとのこと「こんな話し聞いたことない」。

     

    夕方、マリア・デ・セウは、コンデ・デ・アウロラ(オーロラ伯爵)の邸宅へ私たちを連れて行ってくれた。古びた邸宅で薄暗いこともあって、吸血鬼でも出没しそうな不気味な雰囲気。これこそが、本当のマンションと呼べるものである。いたるところ土壁は剥げ落ちてはいるが、腐っても鯛である。邸宅の入口にはブドウのつるが青々と茂り、なかなかの風情。

     

    中に入るとまるで博物館のようだ。星の位置を調べる機械、イェズス会の人が資金集めのために作った水時計、ヤジロベイのような形で両端に金魚すくいの網のようなものが付いて、ゆっくり回転するハエ追い機など、すべてが17世紀から18世紀に作られ、今も使用することが出来る貴重な品々である。

     

    台所も昔のままで、まきを使用するレンジ、手動式アイスクリーム作り器、炭を入れて使うアイロン、肉ひき機など、これもまた17世紀の記念物。「インドの部屋」と呼ばれるところには、マデイラ・デ・フェロ(鉄の木)で作られたレース状に彫られた椅子やテーブルのセットが置かれている。

     

    これらの家具調度品は、1840年にアウロラ伯爵の曽祖父がこの家を建てた時にインドのゴアで作らせ、わざわざ此処ポンテ・デ・リマまで運ばせたのだそうだ。伯爵の曽祖父はゴアの副知事だった。栄華を極めたポルトガルが偲ばれる。


    このアウロラ伯爵は4代目で相続税は何処でも頭痛の種らしく、その対策として、最近では貴族の末裔は使用していない部屋をツーリストに貸すペンションのようなシステム「アビタソン・デ・ツリズモ」を経営している人が多く見られる。過去の栄光もプライドも、なりふりかまわず投げ捨てないと生き抜けない時代の波がここにも押し寄せて来ているようだ。

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