No.10 Viana do Castelo,Ponte de Lima

2016.12.15 Thursday 11:45
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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、

    3人でポルトガル42日間の旅、ポルトガルを通して日本を考察する

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

    ミーニョ地方 腐っても鯛

     

    Scenery from pousada ポウザーダから望む風景

    Scenery from pousada ポウザーダから望む風景

     

    ポルトから北上してヴィアナ・デ・カステロへ向かう。道路標識は、なぜかヴァレンサと書いてあり、もう少しで間違った道に入るところだった。あとで知ったのだが、今はヴィアナ・デ・カステロをヴァレンサと呼ぶそうだ。

     

    12時40分、ヴィアナ・デ・カステロ到着。観光局へ行くように言われていたので、早速訪ねたが事務所は閉まっている。12時30分から14時30分までは、昼食時間で昼休みとドアに書いてある。ポルトガルの昼休みは、日本と違ってゆっくり2時間とるのが普通だ。

     

    私たちも昼食をとることにした。性懲りもなく私たちは、またも3人前を注文してしまい量が多すぎて3人とも降参。腹ごなしにと市内観光をする。レストランの直ぐ隣にみやげもの屋があり、その店先では2人の若い女の子がポルトガル民族衣装には欠かせない赤や緑の原色のスカーフに縁飾りを付けている。

     

    16歳と19歳の針子に尋ねると、通常、この地方では14歳から15歳ぐらいから恋愛をして17歳から20歳の間に結婚するのだと言う。昔の日本を思い出す。彼女たちの給料は1ヶ月3万エスクードと安給料だが生活費も安いので大丈夫なのだろう。

     

    昼休みも終わり観光局を訪ねる。観光局といっても僅か3人の小所帯。その中の事務員で愛想のよいアナが、私たちが泊まるホテル・デ・サンタ・ルジアへ案内してくれることになった。観光局からホテルまでの道のりは、さほどの距離はないが丘に登る道がくねっているので、さっき食べた昼食のせいで吐き気をもよおす始末。奥村さんはコインブラでの大晩餐会から食欲不振、春子もだいぶ弱っていて「水がキシキシする」とコピーライターらしからぬ意味不明な表現をする。

     

    ホテル・デ・サンタ・ルジアは、ポウザーダで小高い山の上にある。静かな緑に囲まれた落ち着いたホテルだ。各部屋のバルコニーからサンタ・ルジア教会が眼下に見え、その向こうにはリマ河が滔々と流れる光景は素晴らしい。小さな町だがとても風光明媚で住み易そうだ。

     

    この地方はミーニョ地方と呼ばれ、ポルトガルの伝統工芸や民俗衣装でもよく知られている。ポルトガルの中でも一番ポルトガルらしい地方かもしれない。ヴィアナ・デ・カステロから車で30分ほど行くとポンテ・デ・リマがある。これまで旅をしたポルトガルの中では一番気に入った。名称通り、リマ河のほとりにあり、16世紀から17世紀に栄華を極めたところで、伯爵や公爵の子孫が今でも沢山住んでいる。

     

    私たちはアナに紹介されたマリア・ド・セウに会い、ミーニョ地方の伝統工芸品を見せてもらった。ファドで使われるギターラ・ポルトゲーザと呼ばれる丸いギター、多彩な刺繍が施された民族衣装など素晴らしいものばかりだ。

     

    マリア・ド・セウは、キャリアウーマンを絵に描いたような人で、ポルトガルのことなら何でもわかる物知り、しかもエネルギッシュ、ポルトガル人である事と仕事に誇りを持っているのが伝わってくる。彼女の話は薀蓄(うんちく)もあり、なかなか興味深い。その話のひとつに黒ずくめの婚礼衣装があった。

     

    この地方の婚礼衣装は真っ黒でカラス色である。黒いスカート、それに刺繍をほどこした白いパフスリーブのブラウス、布は厚手のフェルトのような生地。スカートはファスナーの変わりに紐で結ばれ、中年太りをしてからもはけるのでとても経済的。それにもう一つ驚かされたのは、婚礼衣装と死装束を兼用するというのだ。女性が亡くなると葬式の衣装として白装束のかわりに、婚礼衣装を着せるとのこと「こんな話し聞いたことない」。

     

    夕方、マリア・デ・セウは、コンデ・デ・アウロラ(オーロラ伯爵)の邸宅へ私たちを連れて行ってくれた。古びた邸宅で薄暗いこともあって、吸血鬼でも出没しそうな不気味な雰囲気。これこそが、本当のマンションと呼べるものである。いたるところ土壁は剥げ落ちてはいるが、腐っても鯛である。邸宅の入口にはブドウのつるが青々と茂り、なかなかの風情。

     

    中に入るとまるで博物館のようだ。星の位置を調べる機械、イェズス会の人が資金集めのために作った水時計、ヤジロベイのような形で両端に金魚すくいの網のようなものが付いて、ゆっくり回転するハエ追い機など、すべてが17世紀から18世紀に作られ、今も使用することが出来る貴重な品々である。

     

    台所も昔のままで、まきを使用するレンジ、手動式アイスクリーム作り器、炭を入れて使うアイロン、肉ひき機など、これもまた17世紀の記念物。「インドの部屋」と呼ばれるところには、マデイラ・デ・フェロ(鉄の木)で作られたレース状に彫られた椅子やテーブルのセットが置かれている。

     

    これらの家具調度品は、1840年にアウロラ伯爵の曽祖父がこの家を建てた時にインドのゴアで作らせ、わざわざ此処ポンテ・デ・リマまで運ばせたのだそうだ。伯爵の曽祖父はゴアの副知事だった。栄華を極めたポルトガルが偲ばれる。


    このアウロラ伯爵は4代目で相続税は何処でも頭痛の種らしく、その対策として、最近では貴族の末裔は使用していない部屋をツーリストに貸すペンションのようなシステム「アビタソン・デ・ツリズモ」を経営している人が多く見られる。過去の栄光もプライドも、なりふりかまわず投げ捨てないと生き抜けない時代の波がここにも押し寄せて来ているようだ。

     

     

    ポルトガルの故郷・ミーニョ料理とワイン、そして親日家

     

    Grape harvest ブドウの収穫

    Grape harvest ブドウの収穫

     

    ミーニョ地方には、興味深く面白い取材対象が沢山ある。雄鶏人形で有名なバルセロスとブラガへ向かうつもりでいたが、予定を変更して1日延ばすことにする。午前中は郷土料理の取材だ。昨日泊まったホテル・サンタ・ルジアのマネージャーと交渉、ホテル内レストランの撮影許可をとる。

     

    今日の料理はアロス・デ・サラセーリョ、豚の血で炊いた肉入りごばんとロジョン(豚と豚レバーをソテーしたものを、もう一度オーブンで焦げ目を付けたもの)だ。この地方の郷土料理はレバーやモツをよく使う。大皿には豚の肉とレバー、黒ずんだ豚の血入りごはんの山盛り。豚のオンパレードだ。

     

    好き嫌いの多い奥村さんと春子、その中でも大の苦手がレバーである。2人は撮影中から「この料理、あとで私たちが食べなくてもいいよね」と春子。「高そうな料理だから、きっとお客さんに出すんだよ。でも、なんでよりによってレバー料理なのだろう、まいったなあ」と奥村さんもボソボソ応える。

     

    こんな会話を交しながら30分程で撮影は終了した。そこへホテルマネージャーがやって来て「せっかく作ったので、どうぞ召し上がって下さい」という。奥村さんと春子は何ともいえない表情で顔を見合わせ、心なしか頬も引きつって見える。奥村さんは「失礼なことになるから断ってくれないか」と日本的感覚で私にマネージャーに伝えろという。「単に、苦手のレバーを食べたくないだけではないか」こんな言い訳を通訳するわけにはいかない、私は彼の申し出を却下した。

     

    覚悟を決めた2人は、折角のご馳走だからと豚肉を食べ始めた。「あっ、レバー」口中に強烈な匂いがひろがる。奥村さんも春子も言葉もなく、ひたすらグラスの水を飲み続ける。結局、私は3人分を1人で食べるはめになった。ワインで流し込みながら頑張ってはみたが、なにせポルトガル料理の3人前、尋常な量ではない。半分食べたところでギブアップ。マネージャーに無礼を詫びて逃げるようにその場を立ち去った。奥村さんと春子は外に出ると、まるで監獄から出所したかのように晴ればれとした表情に変わった。よっぽど辛かったのだろう、ちょっと可哀想な気もする。だが、その様子は滑稽でもあった。

     

    ヴィアナ・デ・カステロを後にして、ポンテ・ド・リマへ向かう。到着早々、ポルトガル伝統レースの店やフィルグラーナと呼ばれる金細工の店を撮影する。その後、アブレウ・デ・リマ伯爵の邸宅へ。彼の祖先は、フランシスコ・パシェッコといって日本との国交復活を求めて来日したポルトガル最後の使節代表であった。

     

    パシェッコの使節61人は、鎖国令に反した罪人として1640年長崎県西坂で火あぶりの刑で無念の死を遂げたのであった。にもかかわらず、パシェッコの子孫、ジョアン・ゴメス・デ・アブレウ・デ・リマ伯爵と、その母は「パシェッコは殉死です、今の日本の繁栄は彼の死が無駄でなかったことを証明するもの、日本は私たちの誇りです」と暖かく迎えてくれた。

          

    ジョアンは小太りでおとなしそうな学者肌、母親は立て板に水を流すごとく話まくる対照的な親子だ。ジョアンはパシェッコの研究家でもあり、すでに3冊のパシェッコに関する本を出版している。この本には、17世紀から18世紀にかけての教会の歴史、戦争、革命、生活、そして死にいたるまでのドキュメントなどが記載されている。本職のエンジニアの仕事をするかたわら、リスボアの国立図書館やアジューダ図書館に通っては、古い資料の翻訳にあたっているそうだ。

     

    彼は、1757年にジョアン・クラセットが日本史について書いた2冊のオリジナル本を見せてくれた。貴重な資料を手にとって容易に触れることが出来るのもポルトガルならではのことだ。日本だったら権威ある学者でないと、ページをめくることすら許されないであろう。「歴史はみんなのもの」そんな深いポルトガルの文化意識が羨ましく思えた。

     

    かつて隆盛を極めた貴族の末裔も、今では高い税金に苦慮。その対策としてアビタソン・デ・ツリズモ(民宿経営)をしている人が多い。アブレウ・デ・リマ邸も例外ではない。先祖の文化遺産を維持するのも容易なことではなさそうだ。

     

    さて話をもとに戻すが、パシェッコは死後、ビアットという高い位を与えられ、ポンテ・デ・リマの教会に祭られるようになった。パシェッコの名は、あまり日本では知られていないが、ここでは英雄的存在なのだ。子孫が、これほどパシェッコや日本を誇りに思って親日的なのだから、日本もポルトガルとの友好を深めるために、もっときめの細かい文化交流を考えるべきである。

     

    伯爵に別れを告げ、この地区のブドウ収集所・アデガを見学。入口には髭を蓄えた威厳のある男の銅像がデンと飾られている。この人こそが、過日訪問したアウロラ伯爵の先祖でアデガを設立した人でもある。今年のポルトガルのブドウ収穫期は10月1日から10月15日で、この間にすべてのブドウを摘まなくてはならないので、みな大忙しだ。

     

    今日は10月7日、収穫まっただ中である。今年は雨が多かったので少々遅れているものの、1日に人間が5〜6人は入ることができると思われる大きな樽が600樽ほど持ち込まれるのだから凄い。樽は熟れたマスカット色のブドウや紫色のブドウの甘い香りでいっぱい。トラック、トラクター、馬車などに積まれた樽に溢れんばかりのブドウが次から次へと近隣の村から運ばれてくる。

     

    日本のゴールデンウィークの高速道路も顔負けである。車両の列は、道のズーッと向こうまで延々と続く。「今、午後4時だが、この行列が解消するには明朝3時までかかるよ」とアデガの工場長はいう。 このアデガでは、まず長い棒を樽につっこんで糖度とアルコール発酵度を測る、その計量の結果に応じてブドウを分類する。

     

    次に種別したブドウの軸、皮、種を取り除き、それを5段階に分けて圧縮する。圧縮されてできたブドウ液はモストと呼ばれ、1〜2段階で出来たブドウ液をラグリマ、3〜5段階で出来たものをモスト・プレンサと呼ぶのだそうだ。

     

    そのモストにイーストを加え直径2メートルもあるローラーで液体を漉す。ローラーにはフォシルという白いチョーク状の形をした型が付けられている。この機械を通して精製されたブドウ液は透明になり、樽につめられて涼しい貯蔵庫に寝かされる。これがアデガのプロセスだ。

     

    この地方の特産ワインは、ヴィーニョ・ヴェルデでアルコール度は12度。このワインは土壌から自然に生まれた乳酸菌を含んでいるので悪酔いをしないそうだ。帰り際に試飲をさせてもらう。たまたま見学に来ていたスウェーデン人夫婦と共に10種類以上のワインを飲んだが、試飲といっても1種類でコップ1杯分も注いでくれるので、すっかり酔っ払ってしまった。ビーニョ・ヴェルデは発泡性のある、さわやかな口あたりの素晴らしい白ワインであった。

     

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