ポルトガルの窓から日本が見える No.11

2016.12.14 Wednesday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Dogs 道路を横断する犬たち

     

     

    アルコバッサの犬

     

    アルコバッサに滞在して2日目、今日はレストラン「フレイ・ベルナルド」(ベルナル僧)でフランゴ・ナ・プカラという蛸壺の形をした茶色の素焼きの器に入ったトマトとオリーブ味のトリの煮込みを食べることになった。ホテルの女主人から「アルコバッサに来たら、絶対にこれをたべなきゃ」と美味しい郷土料理情報を仕入れていたからである。サンタ・マリア修道院脇の路地を入った所に、そのレストランはあった。見るからに歴史を感じさせる造りのレストラン、天井も高さ5メートルはゆうにあろうか、とにかく立派な建物だ。

     

    フランゴ・ナ・プカラは、注文してかなり経ってからウェイターがうやうやしくテーブルに運んできた。大きな皿に大きなぶつ切りのトリが3個ボンと乗せられ、それにご飯と野菜、フライドポテトが皿から溢れんばかり、味はマイルドでさっぱりして美味しい。この町の料理は全般的に上品でポルトガルの京都味といったところか。

     

    私たちが日本のレストラン雑誌から依頼された原稿締め切り日が迫っているというのに春子は焦る気配もない。食事が終わって一段落したので「原稿どうなっている」と、しびれをきらした奥村さんが尋ねる。「今晩までに仕上げるように」、普段もの静かな奥村さんにしては、きつい口調で春子に指示。それもそのはず、彼が出国する前に取ってきた仕事なので責任を感じているのだ。

     

    ところが何度書き直させてもダメ、コピーライターだというのに国語の基本もまるでなっていない、とうとう奥村さんが代筆することとなる。春子は、ポルトガル取材旅行計画に積極的な参加意思を示し、これまで彼女が書いた制作物などの実績を確認した上で同行を認めた経緯がある。奥村さんは、カメラマンとライターを兼ねてすることを決意、春子は不満顔で「日本にいればワープロも資料もあるから書けるのに」と愚痴をこぼす始末。

     

    日中、町をウロウロ探索したが、面白い被写体に出会うことはなかった。夕食を終えてサンタ・マリア修道院前のロータリーにさしかかった時、ゾロゾロと何やら列をなして歩くものがいる。よーく目をこらすと大、中、小、茶、黒、白、ぶち、101匹ワンチャン大行進よろしく7匹の犬が一列になって修道院前の道路をまさに横断しようとしている。

     

    ビュンビュン車が走るロータリーなので、この犬たちがひかれはしかいかとヒヤヒヤしながら見ていると、中央の芝生の上で一旦ピタッと全員が止まりトラックや車をやりすごす。そして、おもむろに車の来ない時をみはからって横断歩道を行儀よく渡るのだ。そういえば、ポルトガル人の乱暴な運転マナーにもかかわらず、これまで一度も車にひかれて死んでいる犬を見たことがなかった。

     

    犬といえばペニッシュの港にいた黒い異常に痩せこけたラブラドールのような品の良い顔つきの子犬を思い出す。私がその犬に視線を向けると、前足を車にひかれたのだろうか、ブラブラとさせながらつぶらな瞳でこちらを見つめ「何かもらえるのではないか」と私に懇願するように近寄ってくるのだ。

     

    あいにく食べ物の持ち合わせもない上、何か買い与えようにも店はシーズンオフで何処も閉まっている。じっと見ているのが辛くなり、奥村さんに目を向けると高い堤防の上で撮影に余念がない。私も春子と堤防に上がってみる。犬はここまでは上がれないと諦めたらしく、ヨロヨロと通りの方へ帰って行った。

     

    私は痛みと悲しみを感じ「その後、どうしているのだろうか」と気になっていたが、帰りぎわに人の去った屋台の隙間に、その犬はチョコンと座っていた。きっと彼の住みかに違いない。雨露ぐらいはしのげるだろうが、これから大西洋の冷たい風が吹き込んでくる。冬ともなれば一層寒さは厳しい。私は。後ろ髪を引かれる思いで、その場を去った。ポルトガルの捨て犬はボロッチーが賢さと哀愁を感じる。それに比べ、人間は身なりは立派だが中身は怪しい。困ったものだ。 

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