ポルトガルの窓から日本が見える No.1 

2016.12.11 Sunday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Tower of Belem ベレムの塔

     

     

     

    まえがき

     

    私は短大を卒業してからすぐに、父が仕事で駐在していたブラジルに日本最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗って神戸港からひとり人旅に出た。1968年初春のことである。「父を慕って」というほど、私は父への思いはなかったが、その頃の私は「どこでもよいから、外国に行ってみたい」という気もちからだった。

     

    旅は約50日、1ドル360円の時代であった。船代を稼ぐために大学を卒業してから1年間勤めをして資金を蓄え、父が「来るな」と反対するのを押し切っての旅だった。私が最初に住んだブラジルの町『ポルト・アレグレ』(ポルトガル語で楽しい港の意)には、日本人がほとんどいないことも幸いして、ポルトガル語を使わなくてはならず、約2年の滞在で言葉が上達したばかりか性格もブラジル人になってしまった。気さくで底抜けに明るいブラジル人気質が私をとりこにした。

     

    その後、一時帰国したが「またブラジルに帰りたい」と思うようになり、ヴァリグ・ブラジル航空のスチュワーデスに応募した。その結果、ブラジル・リオデジャネイロとアメリカ・ロスアンゼルスでの生活を約20年間することになる。

     

    1989年に帰国した私は、テレビ制作プロダクションに勤務する。日本企業の中では自由な会社だったが、束縛されて個性がなくなっていく自分が恐ろしくなっていった。「日本人なのに日本人でない自分」自信を失ない始めていた。それは今にして思うと、日本の閉鎖的社会構造が私を悩ませていたのである。

     

    ある日、心配してくれた友人が海外で暮らしたことのあるカメラマンの奥村森さんを紹介してくれた。ほどなく、私は彼のオフィスに勤めることになった。海外経験からして国際派だと思っていた奥村さんだが、意に反して折り紙つきの典型的日本人だった。

     

    彼はひとの気もちを大切にするあまり、結果的には人に騙され自ら墓穴を掘ることも度々であった。私が入社した頃、彼は父親の莫大な相続税の処理で悪戦苦闘していた。1993年には相続税も3年目を迎え、疲労困憊して旅どころではなかったが、気分転換もあってか「仕事を作って取材旅行に行こう」と言いだした。

     

    私は「ブラジルを植民地としたポルトガルとは、どんな国なのか」と以前から興味があったので喜んで参加することにした。取材に当たり、奥村さんは撮影だけで手一杯になるのでライターを探すことにする。オフィスに時々遊びに来ていたコピーライターの春子に話すと彼女も「是非一緒に行きたいと」乗り気だ。

     

    こうして、奥村さんがカメラマン、春子がライター、そして私が通訳とコーディネイターとしてポルトガル3人旅が始まった。

     

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