ポルトガルの窓から日本が見える No.1 

2016.12.11 Sunday

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    ポルトガルの窓から日本が見える

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

     

     

    Tower of Belem ベレムの塔

     

     

     

    まえがき

     

    私は短大を卒業してからすぐに、父が仕事で駐在していたブラジルに日本最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗って神戸港からひとり人旅に出た。1968年初春のことである。「父を慕って」というほど、私は父への思いはなかったが、その頃の私は「どこでもよいから、外国に行ってみたい」という気もちからだった。

     

    旅は約50日、1ドル360円の時代であった。船代を稼ぐために大学を卒業してから1年間勤めをして資金を蓄え、父が「来るな」と反対するのを押し切っての旅だった。私が最初に住んだブラジルの町『ポルト・アレグレ』(ポルトガル語で楽しい港の意)には、日本人がほとんどいないことも幸いして、ポルトガル語を使わなくてはならず、約2年の滞在で言葉が上達したばかりか性格もブラジル人になってしまった。気さくで底抜けに明るいブラジル人気質が私をとりこにした。

     

    その後、一時帰国したが「またブラジルに帰りたい」と思うようになり、ヴァリグ・ブラジル航空のスチュワーデスに応募した。その結果、ブラジル・リオデジャネイロとアメリカ・ロスアンゼルスでの生活を約20年間することになる。

     

    1989年に帰国した私は、テレビ制作プロダクションに勤務する。日本企業の中では自由な会社だったが、束縛されて個性がなくなっていく自分が恐ろしくなっていった。「日本人なのに日本人でない自分」自信を失ない始めていた。それは今にして思うと、日本の閉鎖的社会構造が私を悩ませていたのである。

     

    ある日、心配してくれた友人が海外で暮らしたことのあるカメラマンの奥村森さんを紹介してくれた。ほどなく、私は彼のオフィスに勤めることになった。海外経験からして国際派だと思っていた奥村さんだが、意に反して折り紙つきの典型的日本人だった。

     

    彼はひとの気もちを大切にするあまり、結果的には人に騙され自ら墓穴を掘ることも度々であった。私が入社した頃、彼は父親の莫大な相続税の処理で悪戦苦闘していた。1993年には相続税も3年目を迎え、疲労困憊して旅どころではなかったが、気分転換もあってか「仕事を作って取材旅行に行こう」と言いだした。

     

    私は「ブラジルを植民地としたポルトガルとは、どんな国なのか」と以前から興味があったので喜んで参加することにした。取材に当たり、奥村さんは撮影だけで手一杯になるのでライターを探すことにする。オフィスに時々遊びに来ていたコピーライターの春子に話すと彼女も「是非一緒に行きたいと」乗り気だ。

     

    こうして、奥村さんがカメラマン、春子がライター、そして私が通訳とコーディネイターとしてポルトガル3人旅が始まった。

     

    ポルトガルの窓から日本が見える No.2

    2016.12.12 Monday

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      No.2

       

      ポルトガルの窓から日本が見える

       

      文:吉田千津子 写真:奥村森

       

       

       

      Scenery through the window ペンションの窓から望む風景

       

       

      東京からリスボアへ

       

      9月20日、いよいよ念願のポルトガル取材旅行が始まろうとしている。午前8時に奥村さんと世田谷にあるオフィスを出て西新宿のリムジンバス乗り場へと向かう。心配していた交通渋滞もなく思ったより早く西新宿に到着、同行予定のライター・春子を待つ。待ち合わせするといつも遅刻常習犯の彼女だが、珍しいことに早く来ている。

       

      予約した前のバスに空席があったので時間を早めて出発する。午前10時成田着、予定時刻よりかなり早く着いたので、朝食をとって時間をつぶす。搭乗ロビー内の何でもありのレストランに3人で入り、友人のヴァリグ・ブラジル航空に勤務している未明さんを呼び出す。ついつい話に華が咲きすぎて時計を見るとボーディング時間が過ぎている。急いで出入国管理局へと向かう。

       

      出国管理局は大混雑で前になかなか進まない。ボーディングはすでに始まっている。エールフランスの地上係員に急がされ、やっと飛行機へ。私たちのために出発を遅らせてしまった。「ごめんなさい」。

       

      フライトはエールフランス275便、12時45分離陸。エールフランスのはからいでビジネスクラスの座席を提供してもらう。空いていたので2座席を一人で占領、みな満足、満足。

       

      離陸後すぐに昼食、春子はポルトガルに行くのだからとポルトワインを注文する。ところが相当甘いとみえ、閉口している。奥村さんはかっこよく赤いカンパリソーダ。昼食後3時間ほど睡眠をとる。機内温度は良好で鼻も乾かない、気分爽快。搭乗して6時間半、そろそろモスクワ上空にさしかかる。各キャビンの正面にモニターがあり、現在地、気温、飛行距離が刻々と伝えられる。乗客は皆リラックスしている。

       

      奥村さんは素早く非番の若くて可愛いスチュワーデスに目を付け、観察開始。「おばけが頭に付ける三角巾を膝に付けているよ、見てみて」と一人で面白がっている。後部座席には、とうの立った非番のスチワ−デスのお姉さまが3人分の座席を占領してサンマのように長くなり読書にふけっている。観察が終わると、奥村さんは寸暇を惜しんで眠りを貪る。

       

      春子は、何やら調べ物をしている。ウトウトしていると「あと一時間でパリ」とのアナウンス。目を覚ました奥村さんは、ことの他マメに食べ残したパンやサンドイッチ、砂糖までも酔い袋に詰め込んで飛行機から降りる準備に余念かない。

       

      現地時間17時10分前、パリ、シャルル・ドゴール空港着。空港で乗り継ぎのため1時間待たなければならないので、3人でロビー内をウロウロする。パリ在住経験のある奥村さんが、懐かしんで「シトロン・プレッセ」(レモン水)を飲もう」と勇んでバーに行ってみるが、ありきたりのジュースしかなく断念する。

       

      19時15分、エールフランス1224便はリスボアに向けて出発。ボーイング737の機内はポルトガル人と日本人の団体客でほぼ満員。後方ではポルトガル人が大声で話している。奥村さんはアイマスクを付けて再び眠り、春子はコンタクトが乾いたと言って目をしばしばさせている。食事が離陸してすぐに出る。奥村さんは「また食事か、お腹すいていないのに」と言いながらもテーブルをセットして用意をしている。あとで食べられそうなものは袋に詰めてカバンに入れる。

       

      午後10時、リスボア着、気温25度、思ったよりも暖かい。空港で20万円をエスクードに両替する。100円=158エスクード、コミッション2千エスクードと税金180エスクードを差し引いて31万4千780エスクード也。バッグがお金でパンパンだ。予約してある宿「ペンション・ナザレ」へ向かうためにタクシー乗り場へ行く。同じ便で到着した乗客で長蛇の列が出来ている。

       

      15分程待って順番が来たのでホットしたのもつかの間、タクシー運転手が「スーツケースがトランクに全部入らないから乗せられない」と言う。「入りきらないスーツケースは座席に置けば良いではないか」と私が食い下がるが、彼は「タクシーの規則でスーツケースは座席には置けない」と言い張る。

       

      私と運転手は10分程公衆の面前で乗せろ乗せないで大口論になる。日本人対ポルトガル人の対決だ。怒った運転手はスーツケースをポンポンと道路の真ん中へ投げ出して、乗車拒否して去って行った。怒りたいのは、こっちの方だ。

       

      3人の疲労も極度に達し、ヨロヨロと大きなスーツケースをひきずりながら元の列に入る。「捨てる神あれば拾う神あり」、ことの成り行きを見ていたタクシー運転手が「ノン・テン・プロブレマ」(大丈夫だよ)とトランクに入らないスーツケースを車の屋根に乗せ、その場しのぎの細い紐で縛りとめる。

       

      「ペンション・ナザレ」への道すがら運転手は猛スピードで飛ばす。荷物が屋根から落ちるのでは、と気がきではない。だが無事到着、料金が1040エスクードのところを1500エスクード支払う。荷物料金として50パーセント増しに支払ったので運転手も上機嫌である。「ボア・ヴィアージェン」(良いご旅行を)と言って立ち去った。

       

      時間は午後11時をまわっている。ペンションが用意してくれた部屋は5階、ところがエレベーターは4階まで。5階へは重たい荷物を持って螺旋階段で登るしかない。「一難去って、また一難」、私たちは最後の力をふりしぼって部屋にたどり着いた。ポルトガルに着くやいなや、ラテン気質の洗礼を受けてしまった。 

      ポルトガルの窓から日本が見える No.3

      2016.12.12 Monday

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        ポルトガルの窓から日本が見える

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

         

         

        Funeral car 霊柩車

         

         

        リスボア初日

         

        朝7時に目覚ましが鳴る。肌寒いので思わずスパッツをはいてしまった。部屋は大通りに面していて少々やかましい。7時30分に教会の鐘がなる。外はまだ真っ暗、今日のスケジュールはICEP(ポルトガル投資・観光・貿易振興庁)へ行く予定。この取材旅行はICEP東京事務所のバチスタ氏の協力で実現、リスボアに着いたら現地事務所を訪ねるよう手配してくれていたからだ。ICEP事務所のあるビルは新築の赤いビル、隣のビルは取り壊し中だ。
         

        観光部門広報担当のジョアナ・ネーヴェスに会う。私達の山のような質問に応えるあいだ、彼女は次から次へとタバコを吸う。もの凄いチェーンスモーカー。 約2時間話しこみ、レンタカーを格安で借りることが出来た。30日間で21万エスクード、40日間で28万エスクード、ポルトガルのレンタカーは、アメリカのように安くはない。とりあえず40日間借りることにする。ジョアナの紹介ということで、これでもだいぶ安くなっているのだ、感謝感激。車種はルノー19。

         

        昼食は近所の『パステラリア・カタリーノ』(スナックや喫茶のような店)でとる。塩加減が良く美味しい。奥村さんと春子は子蛸と野菜煮込みを注文、私は、エスカロップ、デザートはレイチ・クレーメ(ミルクプディン)、2人は、プディン・デ・アロス(ライスプディン)を食べた。この店は官公庁街にあり、道路に長蛇の列が出来るほどの大繁盛。

         

        レンタカーを予約した帰りにビルの屋根を葺いている職人を見かける。その瞬間、奥村さんは職人が「危ないぞ」と止めるのも聞かず、もうさっさと屋根に登っている。屋根葺き職人は二枚の瓦を小さなドラム缶に入れ、一回ずつ上まで綱で引っ張り上げる原始的な方法、完了するまで約2ヶ月、親子職人、それに見習いの若い男の子が手伝い3人で葺いているらしい。
         

        私と春子は手持ち無沙汰、彼女は近くにあるカフェを偵察に行った。リスボアには排気ガス規制がないらしく、交通量の多い場所に立っていると喉がヒリヒリと痛くなる。

         

        私がかつて住んでいたリオのコパカバーナの大通りバラータ・リベイロを思い出す。リオの町のモザイクの石畳、家並など、いろいろな文化がポルトガルから海を渡ってブラジルに伝来していたのがはっきりとわかる。

         

        奥村さんが屋根から下りてきたので退屈していた私たちは「やれやれ」と、その場を移動しようと歩きだす。その時、信号が赤になり、シルバーグレーの大きなピカピカのワゴン車が停まった。後部はショーウィンドーのような大きな窓になっていて、1m以上もあるかと思われる赤、白、黄色のそれは色鮮やかな花輪が飾られている。

         

        私は奥村さんに「綺麗な車だから、写真とってよ」と頼んだ。即座に彼はカメラを取り出し「カシャ、カシャ」。私は嬉しくなってその車に手を振った。車に乗っている人達が私たち東洋人に気付き微笑みながら手を振って応えてくれた。その時、奥村さんが「あっ、霊柩車だよ」と私たちを諌めた。
         

        もしも、これが日本だったら何処の馬の骨か分からない者、おまけに変な外人が霊柩車に手を振ったりしたら不謹慎きわまりない行為だ。家族の誰かが亡くなったというのに、何と明るいのだろう。お国柄、宗教観の違いか。遺族がこれほど元気なら死者も安心して天国に行くことができるだろう。

         

        昼食後、フェイラ・デ・ラドラ(泥棒市)へ行く。くねくねと曲がった細い道を登って行くと、そこには地面いっぱいに布をひろげ、その上にところ狭しとガラクタ、本当のガラクタで日本のごみより酷いものも有るが、みな大事そうにキチンと並べて売っている。

         

        その辺を散策していると大声で会話をしている人達の声が聞こえる。ふと見ると一軒の店の中で4,5人のポルトガル人がゆうゆうと昼間なのにお喋りに興じている。奥村さんが取材をしたいと言い出し、了解を取りつける。店の中は馬具、戦争に使われた潰れたヘルメットや銅製品などが天井・壁いっぱいにぶら下がっている。店内は薄暗いが、とても清潔。誰が主人だかわからないが、皆ニコニコと愛想がよく、話し好きで歌好きのファジスタ(ファドを歌う人)だと言う。

         

        土曜日の5時にこの店でファドを聞かせるから来いとの事、近所の人を集め土曜日ファド会を開いているらしい。金曜日と土曜日はファドレストランで歌うらしく、きっと上手いのだと思う。また会う事を約束して別れた。

         

        もう日も暮れ、ケーブルカーに乗って帰ろうと思ったが、時刻表も持ち合わせておらず何時来るやも知れず、市電をおとなしく待って帰ることにした。だが、30分経っても市電は来ない。せっかちな私たち日本人は、狭い道を通り抜けるおびただしい車の排気ガスで段々喉が痛くもなりイライラして来た。

         

        その上、7歳位の女の子が春子にずうっと話かけている。その度に春子が「なんて言ったの」と私に通訳を求めてくるので、たまったものではない。女の子はお構いなしにしゃべり続ける。ああ、疲れた。結局、市電を待ちきれずタクシーで帰る。

         

        夜は節約すべく、近くのスーパーで買い物、ポルトガルに来て初日なので奮発してワインも買った。1390エスクードもしたので美味しいと思ったがペッペッと吐き出したい程まずい。貧乏性の奥村さんが仕方なく飲みほしたが酷いワインだった。

         

        ちなみにポルトガルのビールは120エスクード、ジュース(日本の一番小さいサイズ)が150エスクードでビールの方が安い。ビール好きな人にとっては有難い価格だ。

         

        夜は奥村さんの部屋で3人で食事。春子はもう日本を懐かしがって大切なインスタント味噌汁をすすっていた。奥村さんは日本から持ってきたモロコシスナックを何時ものように食べている。春子が「奥村さんはお菓子好きなんですね」と感心したように話かけるが、奥村さんは重い荷物(カメラ機材)の為にぐったりとなり、反応が鈍い。48歳の老体にはこたえるらしい。なにしろ、30キロほどもある機材を1人で一日中かついでいるのだから。もうじきレンタカーを借りるので楽になると思うが。

         

        3人とも運転は出来るが、あいにく車はマニュアルでオートマチックではない。オートマチックに慣れ親しんでいる春子と私には運転する自信もなく、奥村さんだけに42日間頼ることになりそうだ。日頃、彼は疲れると直ぐ目が充血したり痛くなったりする人なので、少々心配。

        ポルトガルの窓から日本が見える No.4

        2016.12.12 Monday

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          ポルトガルの窓から日本が見える

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

           

           

          Market 市場

           

           

          リスボアの取材先で

           

          あっという間にリスボアにきて2日が過ぎた。昨日は一日中事務的な仕事しか出来なかったので、今日はいろいろと取材をしなくては、スムーズに事が運ばず焦りを感じる。

           

          奥村さんは、昨日訪ねた「パステラリア・カタリーノ」で繁盛具合をカメラにおさめに出掛け、かれこれ3時間を経過、粘っこく取材をしている。カタリーノの主人・デビッドさんは、45歳というが10歳以上も老けて見える。彼は無愛想な男であったが、取材のお礼にTシャツを2枚あげると、満面に笑みをうかべた。

           

          「今日の昼食は軽く」と思ったが、結局、「パステラリア・カタリーノ」でしっかりと食べることになってしまった。撮影のためにバカリャウ(たら)と肉料理、それにコールドプレート、スープなど。またも散財。

           

          奥村さんが頑張っている間、私と春子は散策をしながら歩いているとインテリアの店に出くわした。店員は暇そうに店の中をノンビリと見回している。別件取材で日本からポルトガルへ渡ったといわれる椿の花をさがしていたので、その店員に聞いてみることにした。彼女の名前はワンダ、上品な中年女性である。

           

          彼女が言うには、ポルトガル北部のカステロ・ブランコに群生していて、ジャポネイラと呼ばれている事を教えてくれた。そして「リスボア市場も、ここから直ぐのところにあって面白いから行ってみるといいわ」と勧めてくれた。

           

          奥村さんの撮影も終わったので、私たちはワンダが教えてくれた市場に行くことにした。インテリアの店を出て、すぐ前にある大通りをつき当たると、白い大きな壁が見えた。そこがリスボア市民の胃袋を満たす市場である。3メートルの高さはゆうにあると思われる壁が延々と続く、まるで監獄のようだ。

           

          でも、中に入ると市場は活気に溢れ肉、野菜、花、チーズ、雑貨など、一番賑っているのが何といっても鮮魚売り場である。なぜか売り子はおばちゃんばかり、愛想よく私たちにアジやイカを見せつけて売りつけようとする。同じ建物の右側には小さなレストランがある。多分、おばちゃん達で昼は賑わうのだろう。

           

          私はトイレに行きたくなり捜し出す、あまり綺麗ではないが仕方がない。バタンとドアが勢いよくしまった。用を足してアッと気が付くと、なんとドアの内側に取っ手がないではないか、確かに入る時にはあったのに。そうなのだ、外側にはあるが内側には初めからなかったのだ。一度扉をしめてしまうと、もう中からは開けられない仕掛け。

           

          これこそ本当の雪隠づめ。そこで力まかせにドアを押してみるが、まったく反応なし。今度は「ドンドン、ソッコーロ(助けて)」とドアを叩いてみた。しかし、誰も応答してくれない。5分程経って、やっと魚屋のおばちゃんに救出される。ヤレヤレ、本当にお粗末の極み。

           

          昼からは、コンフェタリア(お菓子屋)の取材。取材候補として「スイッサ」と「ナショナル」という老舗の菓子店を現地で手に入れたガイドブックからピックアップ。「ナショナル」の方がこじんまりとしていて、日本人好みなので決定。

           

          「ナショナル」の主人は、4代目で元貴族ではないかと思われるほど品の良い紳士、いつもニコニコとして愛想がすこぶる良い。彼の名前はルイ・ヴィアナ。そして面白いことに彼から手渡された名刺には獣医と書かれていた。不思議に思って尋ねると「獣医になるつもりで学校へ行ったが家業を継ぐことになってしまった」と説明してくれた。どうりで店員たちが、彼のことをドトール(ドクター)と呼ぶわけだ。撮影もトントン拍子で、奥村さんも春子も大喜びであった。おまけに帰りに1人に1箱ずつ、1代目がフランスから持ち帰ったという三ヶ月型のフルーツケーキパンをいただき、何とお礼をいって良いものやら。ルイさん、ありがとう。

           

          この後、リスボア市内のバス、市電、ケーブルカー、メトロ乗り放題のパス「パッセ・トゥリスチコ」を買う。1人4日間で1350エスクード、せいぜい使わないともとが取れない。というわけで、早速37番カステロ行のバスに飛び乗り、サン・ジョルジュ城へと出発。

           

          モザイクのガタガタ道をでっかいバスが道一杯に走って行く。サン・ジョルジュ城に着くと、春子が城の上のギザギザになっている城壁まで登りたいと言いだす。今日のハードスケジュールで疲労困憊している上に、みるからに観光的過ぎる風景に奥村さんも私も気が進まなかったが春子のたっての願いもあって、やむをえず付き合うことにした。

           

          急な階段を何段も登ってたどり着いてみると、そこには何も無かった。春子は盛んに「ダマサレタ、ダマサレタ、松本城と同じだ」と訳のわからない事をブツブツと言う。この城は少々変わった城で、誰が飼っているのか、庭には孔雀がウロチョロ、真っ暗な石の部屋には、ニワトリやカラスが不気味に私たちを見つめる。

           

          9月末のポルトガルは、午後8時になっても陽が沈まず明るいので、気が付くともう11時になっている。そのかわり朝は7時になっても夜が明けない。

           

          今日9月23日、『パッセ・トゥリスチコ』の有効利用のため、エレトリコ(市電)に乗って終点まで行って見る事にした。28番のエレトリコはバイロ・アルトまで行く。それぞれのエレトリコの車両にはユニークなデザインが描かれている。私たちの乗った車両には、赤いベースにダリのようなどじょう髭を生やした男の絵が描かれていた。私は勝手に「ダリ電車」と呼ぶことにした。

           

          奥村さんと春子、そして私は、らくちんな「ダリ電車」でどんどん終点へと向かった。外はもう昼間とはうって変わって寒くなり、春子は「寒い、寒い」を連発する。仕方がないので、「ダリ電車」の始発駅のロッシオ駅まで戻り、昼に目を付けておいた中華料理店に飛び込む。

           

          私は、マッシュルームスープ(200エスクード)、奥村さんと春子は、卵スープ(220)エスクードをたのみ、牛肉のピリピリ、焼き飯、焼きソバなどを皆でオーダー。春子はそれでも足りないらしく、春巻きを注文しそうになり、私たちに「予算オーバー!!」と制されて取りやめた。春子は小柄で華奢なわりには食欲は旺盛である。

           

          ポルトガルの窓から日本が見える No.5

          2016.12.12 Monday

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            ポルトガルの窓から日本が見える

             

            文:吉田千津子 写真:奥村森

             

             

             

            Factory of Confeitaria Nacional コンフェタリア・ナショナルの工場

             

             

            苦あれば楽あり、楽あれば落とし穴あり

             

            今朝は7時30分に食堂集合なので早く起きた。というより寝つけなかったと言ったほうが正しい。私たちが泊まっている「ペンション・ナザレ」は、アヴェニーダ・アウグスト・アントニオ・アギィアールという、とてつもなく長い名前の大通りに面している。初日は飛行機など乗りもの疲れもあって熟睡したためか、さほど気にもならなかったが、昨晩は絶え間なく車の発信音が響き喧しく、おまけに地震のように揺れるのでたまったものではない。
             

            今日は、昨日訪ねた「コンフェタリアナショナル」の工場写真を撮りに出かける。ペンションのすぐ近くにあるメトロ・パルケ駅へと向かう。奥村さんはゴロゴロカートの上に荷物と三脚を重ねて置き、それをおんぶして歩く。私が面白がって「あっ、カニ族だ」と彼をからかっても、春子は世代が違いカニ族を知らないとみえてのってこない。
             

            メトロの下りエスカレーターは、あいにく故障中のため使用不可。東京駅総武線連絡通路のような、長く急な階段を延々と下ってやっとホームに着く。メトロ車内は薄暗く「これがニューヨークだったら怖いだろうな」と思う。電車は朝のラッシュで満員。奥村さんの背中の大荷物に、さすがに人のよいポルトガル人もイヤな顔をしている。10分程でロッシオ駅、広場の靴磨きのおじさんに「ナショナルというお菓子屋さんの工場があるルア・ド・ドゥケ通りはどこ」と尋ねる。

             

            ハンティングをかぶったおじさんは、山の方を指さして「あの階段を登った所だ」と応える。その方向を見ると、断崖絶壁に家々がへばりつくように建ち並んでいる。ロッシオ駅と工場を結ぶ道は、やっとひと一人が通れるか通れないくらいの幅の狭い階段がジグザグと絶壁の頂上に向かって伸びている。この急勾配、しんどさは登山なみだ。奥村さんは30キロ以上の荷物を背負い、ヨタヨタと登って行く。
             

            下って来る人も多く、道を譲り合いながら進むのでなかなか頂上まで登ることができない。登りきって平らな道に出ても、ポルトガルはブラジルの道と同じ石畳になっているので、奥村さんのゴロゴロカートも余り役にたたない。
             

            やっとの思いで、「ナショナル」の工場に着いた。黄色の石塀の間にある大きな木の扉を開けると、「ギィー」と乾いた音が響き渡る。なかに入ると、白衣に白頭巾姿の10数人の職人たちが忙しそうに働いていた。大きなボールの中には卵の白味が山と盛られ、自動泡立て機がものすごい勢いでグルグルと回転し、メレンゲを作っている。
             

            そこへ白髪の小柄なおばさんが、ニコニコしながらやって来た。彼女は「私が工場長のセレストレです」と自己紹介をした。彼女は現在77歳だそうだが、なんと、54年もここで働いていると言うのには、おったまげた。ここで働き始めたのは23歳の時からだそうだ。とても話し好きでよく喋る。こちらも負けじと質問を投げかける。入れ歯のせいか、なまりのせいか、時々彼女の言っている事がわからない。

             

            春子は、わずかに勉強したことのあるスペイン語で会話をしたくてたまらない。セレストレがスペイン語を解ると聞いて、突如スペイン語でのインタビュー開始。だが、初級程度の彼女の語学力では、まったく通じずパニック状態。自分で話すのを諦めた彼女は、私に取材に関係のないことまで知ろうと頼ってくる。私もイラだってきた。

             

            奥村さんのカメラ助手と通訳を一緒にこなすのは並み大抵のことではない。「質問は、撮影の前か後にまとめてくれ」と言いたかったが「旅はまだまだ続くのだ、角がたつといけない」とぐっと我慢した。
             

            春子は日本人が興味をもつ、誰でも知っているコンペイトウ、カステラの原形のポンデロー、そして鶏卵素麺の原形フィオ・デ・オーヴォなど、ありきたりのものにこだわっている。セレストレの好意でポンデローの作り方を見せてもらう。

             

            小太りの男が大きなボールに手を突っ込みケーキの材料を混ぜる。まず、黄味、砂糖、小麦粉を混ぜ、ドーナツ形の型に紙より少しうすい藁半紙(わらばんし)をひき、材料を流しこむ。それをオーブンに入れると出来上がり。
             

            小さなクッキー、ドッセ・デ・オーヴォ、瓢箪形のパンにジャムを塗ったクッキー、パステス、エンパナーダ、フルーツケーキ、結婚記念日用のケーキなど20種類以上のケーキが次々と出来上がり、台の上に並べられていく。そのスピードたるや日本人顔負けの機敏さで、黙々と話もせず働く職人の勤勉さには驚かされる。

             

            完成品はうやうやしく昔の大名が参勤交代に使ったような木箱におさめられる。箱の中は三段になっていて、そこにケーキやクッキーを壊れないように納める。
             

            工場の取材を終えるとセレストレは、工場の奥にあるオーナーの家を案内すると言い始めた。2代目から4代目までが、ずっとこの家に住んでいる。立派な家だ。ポルトガルではエリート中のエリートに違いない。現オーナーのドクター・ルイ・ヴィアナはとても品の良い男である。ドナ・セレストレはドクターの赤ん坊のころから面倒をみているので、彼をまるで自分の子供のように思って嬉しそうに彼のことを話す。家の中はドン・ペドロ5世様式のベッドや家具でうめつくされていて、まるで博物館のように整頓されている。
             

            ドナ・セレストレに別れを告げ元来た道を下って行くと、「ギッコン・バッタン」という音がする、間口1メートル30センチほどの小さな印刷屋さん。店の奥には、手刷りの印刷機、おばさんが忙しく手を動かしている。のんびりと、店を見学してからペンションに戻り、一休みしてICEPのネーヴェス嬢に会いに行く。彼女は私たちに素晴らしいニュースを知らせてくれた。
             

            なんと、これからの取材旅行の宿泊費をICEPやホテルの協力で無料にしてくれるという有難い話だった。思いがけない幸運な知らせに喜び勇んだ私たちは「今日の夕食は、ちょっと奮発してまともな物を食べよう」ということになった。近くのレストランでテーブルにつくと、ウェーターがすかさず生ハムとメロン、それに真っ赤にゆで上がった美味しそうなエビを注文もしていないのに運んでくる。
             

            フランス在住経験のある奥村さんが「もし、手をつけたらチャージされるぞ」と女2人を脅かした。食い意地のはった女2人の胃袋は、そんな言葉を聞き入れなかった。次にワイン、メインディッシュを注文した。ポルトガル代表料理のバカリャウ(たら料理)である。たらは、塩抜きが不十分でしょっぱくて食べられない、日本のレストランと違い量もベラボウに多い。
             

            やっと食べ終わり、勘定を払う段になって驚いた。何と、請求書が3人で8900エスクード。ボラレているのではと、請求書をよく見るとメインディッシュは1人前1200エスクードだが、注文せずに出てきた生ハムが980エスクード、ゆでエビにいたっては1800エスクードとなっている。3人ともギョッとなったが、食べたのだから支払わなければならないのは当然だ。キャッチバーで捕まった馬鹿な客の心境である。
             

            春子にいたっては、まだ旅の始まりだというのにアンゴラのフワフワのセーターを1万2千エスクードで買ってしまったので、今日の散財は割り勘の夕食代と合わせ1万5千エスクードにもなり、顔がひきつっている。
             

            外国人がレストランに行くと、この手で大枚を払わされることが多い。「クワバラ、クワバラ」。この事件をきっかけにして、オーダーしない料理がテーブルに出てくると喧嘩してでも返却することにあい努めた。

            ポルトガルの窓から日本が見える No.6

            2016.12.13 Tuesday

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              ポルトガルの窓から日本が見える

               

              文:吉田千津子 写真:奥村森

               

               

               

              Manager of  Gambrinus ガンブリヌス支配人のダリオ氏

               

               

              リスボアの生活をりをり

               

              午前6時起床、昨日の日記を書く。朝食後、奥村さんに渡すものがあったので部屋へ届ける。ドアをノックしてもなかなか出てこない。しばらくしてドアが開いたとたん、オペラのような歌声が部屋一杯に響き渡る。テレビもついていない、誰が歌っているのだろうか。

               

              奥村さんは、ペンションの中庭を覗き込んでいる。私も見ると、背広姿の片腕の男とアコーディオンを胸にぶらさげた若い男が立っていた。声の主は、彼らだったのだ。8階建てアパートの四角い中庭にビンビンとこだまする。歌詞は反響して聞きとれないが、どうやらファドらしい。日本で言えば演歌の流しといったところか。日本の流しは夜の酒場を想像させるが、ところ変われば品かわる、朝の10時にこんな場所で演じるとは。

               

              中庭の窓を見渡すと、お手伝いさん、事務員、おばあちゃんが顔を窓から突き出し聞き入っている。奥村さんは「お金をもらうためにやっているんだ」というが、誰もお金をあげている者はいない。なおも歌を聞き続けていると、5階の窓から事務員らしい女の人が手をあげて白い紙の包みを広場の彼らに向かって投げた。

               

              それは風に乗ってフワフワと広場のモザイクの石畳の上に落ちた。歌手はゆっくりと包みを拾い上げ、不自由な片手で硬貨を丁寧に取り出し、首にかけた箱に入れる。すると、その様子を見ていた人々が、次々と同じように広場に向けて投げ始める。私は硬貨がよく見えるようにナイロンの透き通った袋に100エスクード硬貨と500エスクード紙幣を入れて力いっぱい投げた。私の心づけはヒラリヒラリと舞い、やがて駐車していた車のフェンダーに「カーン」という音をたててぶつかり、男の前に落ちた。彼はすぐに拾いあげ、片手を左右に振って私に感謝の意を表した。

               

              今夜は、ICEPのネーヴェス嬢の協力で5つ星のシーフード・レストラン「ガンブリヌス」を撮影することになった。メトロ・レスタウラドウレス駅で降りてすぐの所に、このレストランはある。

               

              「ガンブリヌス」は、一見なんの変哲もないレストランにみえる。木の扉を開けて中に入ると、どこにでもあるバーカウンターが右側に、左側には何種類もの海老や魚介類がみごとにデザインされてオンパレード、ウィンドーからも眺めることができるので通行人の目をも楽しませている。

               

              レストラン内部は、3つの部屋からなり、各部屋に1メートルの段差をつけて雰囲気が変わるような、さり気ないがよく考えられた設計がなされている。厨房は思いのほか狭いが、壁にはポルトガル特有のアズレージョ(デザインされたタイル壁)で飾られ「いかにもポルトガル」という感じだ。

               

              午後6時30分だというのにシェフは勿論、他の料理人も姿を見せない。開店に間に合うのだろうかと心配になる。雑用専門のアシスタントだけが従業員のための食事の準備に取りかかっているだけだ。疑問に思い尋ねてみると、この店は海産物などの新鮮な材料を生かした料理がメインなので、焼いたり煮たりと調理が簡単な上に、開店まもない時間は客も食前にカウンターでアペレチーボ(食前酒)を歓談しながら長い時間楽しむので、本格的な食事はなんと9時過ぎだという。

               

              厨房から階段を登るとワインセラーになっている。そこにはポルトガルワインを代表するヴィーニョ・ヴェルデ、ダァン、マデイラ、ポルトなどがずらりと並ぶ。その種類のあまりの多さに、支配人のダリオ氏も何本あるのかわからないとのこと。

               

              ダリオ氏はキザと思えるほどの徹底した着こなしでダンディー、29年間この仕事をしていると自慢する。ダリオ氏の案内によると、この店の1日、1人当たりの消費額は約8000エスクードから10000エスクードと言うから、ポルトガルの生活水準から考えるとかなりのものだ。案の定、上流階級の人々が夜な夜な出没する凄ーいレストランだったのだ。マリオ・ソアレス・ポルトガル大統領も、そのなかの一人。顧客の多くは、家族代々訪れる常連客。

               

              この店で食事ができるようになれば、「上流階級の仲間入り」と出世を志向するポルトガル人にとっては、ステイタスのバロメーターとなっているようだ。ポルトガルの高級レストランでは、通常、ポルテイロと呼ばれる門番が仰々しく入口に立っている。だが、「ガンブリヌス」は、気軽な雰囲気の5つ星レストランを経営理念に掲げているので、私のような俗人でも違和感なく気軽に立ち寄ることが出来る。いつの日か私もお金持ちになって、このレストランで食事をしてみたいものだ。

               

              営業時間は午後12時から午前2時まで、年中無休。午後9時30分がラストオーダーとなる日本のレストランは「豊な時間と食事とは何か」を考え、顧客サービスにもっと努めて欲しい。ポルトガルの一般庶民も上流社会もそれなりに、生活のをりをりを満喫して大切に過ごしているのが素晴らしい。

              ポルトガルの窓から日本が見える No.7

              2016.12.13 Tuesday

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                ポルトガルの窓から日本が見える

                 

                文:吉田千津子 写真:奥村森

                 

                 

                 

                Hitoshi & Mutsuko Takemoto 武本夫妻

                 

                 

                 

                旅は道づれ世は情け、されど君子危うきに近よらず

                 

                先日、アルファマの「泥棒市」を訪れた際、通りがかった店で「土曜日の夜、ここでファドを聞かせるから5時においで」と言われたのを思い出す、そう、今日は土曜日。春子は、朝から興奮気味でファドの話題に終始。

                 

                一方、私は生来の心配性に加え、ブラジルやアメリカでの23年間に渡る海外生活の教訓から「あの地区は夜になると街灯もなく真っ暗で人気もないので危険ではないか。昼間は、にこやかなあの人達が夜になると一転、怖い人に変身するのでは」とあれこれ考え臆病になり気が進まない。

                 

                そんな私の性格のお蔭で、これまで無事に過ごせてこられたと自負している。最近は、無防備に渡航して事件に巻き込まれる日本人が急増している。奥村さんも海外生活経験者だけあって「行くのは止めよう」と言ったが、春子は「大丈夫ですよ、あのひと達はいい人ですよ」と信じきって疑わない。春子は、まだ未練があるらしくブツブツと文句をいったが万が一を考え、私たちの意見を押し通して取りやめることになった。「君子危うきに近寄らず」だ。

                 

                今日、土曜日はセトゥーバル在住の日本人画家・武本比登志さんを取材に訪れることになった。セトゥーバルは、リスボアから南東へ約50キロ離れた港町である。昨日借りたばかりのルノー19に3人で意気揚々と乗り込んだのだが、近ごろオートマティック車しか運転していない奥村さん、ギッコン、バッタン、ガックンとギアチェンジの度にムチウチ症になりそうだ。

                 

                私たちが泊まっているペンションから目と鼻の先にあるプラッサ・エスパニョーラまで悪戦苦闘の末たどりつく。エスパニョーラ広場は、ロータリーになっていて放射線状に道が分かれている。しかし、私たちが目指すセトゥーバルはおろか、方向を示す標識すら見当たらない。慌てた3人、「あっちだ、こっちだ」とそれぞれが言っているうちに、後方には車の列、「ビービー」とけたたましくクラクションを鳴らす音。

                 

                奥村さんはアタフタするし、私はイライラ、あっという間にロータリーを2周してしまう。何人かに道を尋ね、やっとのことでセトゥーバルの方向を確認。リスボアの道路は、石畳で狭いぐにゃぐにゃ道や一方通行が多い。その上、やたらと不法駐車が目立つ。ダブル、トリプル駐車は朝飯前。

                 

                ポルトガル人の運転は、さすがラテン系、ブラジル人と同様、車に乗り込むと人格が変わりFIレーサーよろしく滅多やたらにスピードを出す。普段のオットリとして温厚なポルトガル人からは想像できない。その人格の変貌は、子供の頃ウォルト・ディズニーのアニメで見たグーフィーを思い出す。

                 

                話が脱線してしまったが、その後のドライブは順調で、1時間程で海の見える小高い丘にある武本さんのアパートに無事到着した。通りがかりに買い物袋をさげたおばあちゃんに「このアパートのどの棟に日本人が住んでいるか知りませんか」と尋ねると、「13番の3階だよ」と教えてくれた。武本さんは、このあたりで良く知られているようだ。

                 

                武本夫婦は、笑顔で私たちを迎えてくれた。彼らの住むアパートは余り大きくはないが、新しく清潔で気持ちのよい住みやすそうなアパートである。ベランダや台所から海が見渡せるのも素晴らしい。

                 

                「向かいに見えるのがトロイア半島だよ」と武本さんは指さす。夏は海水浴場となるリゾート地だ。武本夫婦は、ニューヨーク、中南米と旅して回ったすえ、ポルトガルに住むまではスウェーデンにも在住していた。画家といえばパリと誰でも考えるのだが、武本さんは、そんな俗っぽい人ではない。「少年のころ楽しく描いた絵をもう一度描きたい、ポルトガルには古きよき日本が今も残っている、それが私のモチーフ」と制作を続ける純粋な画家だ。

                 

                夫人でエッセイストの睦子さんが、私たち3人に自家製のカレーライス、そして武本さんお気に入りのポルトガルワインをご馳走してくれた。ポルトガルに来てから毎日、塩辛い料理を食べていた私たちにとって、久しぶりのご飯は感激、ポルトガルワイン談議に花が咲いた。 

                ポルトガルの窓から日本が見える No.8

                2016.12.13 Tuesday

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                  ポルトガルの窓から日本が見える

                   

                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                   

                   

                   

                  Souvenir shop みやげもの店

                   

                   

                  旅の始まり オビドス⇒サンタ・クルーズ⇒ペニッシュ

                   

                  今日は、いよいよ中世の町オビドスへの取材旅行の始まりだ。午前8時、朝食をとろうとペンションの4階にある食堂に行く。だが、食堂は真っ暗でフロントに人影はない。いつもと様子が違う、うろうろしているとペンションの従業員の中で一番グウタラな私の嫌いな若い男が大あくびをしながら出て来て「食事は7時30分からです、あと30分待ってください」と言ってボーっと椅子に座り込む。

                   

                  私は憤慨して「何いっているの、もう8時じゃないの」と彼をにらみつけた。すると「今朝の3時から冬時間なので、1時間早くなって今7時です」とシャーシャーと応える。「えっ何だと、それだったら前もって言え、1時間損しちゃったじゃないの」客を客とも思わぬ態度、まったく嫌な奴だ。

                   

                  仕方がないので真っ暗な食堂に3人で座り、旅のスケジュールを打ち合わせることにした。すると突然春子が「昨日洗濯して窓の外に干しておいた靴下が落ちちゃったの、どうしよう」と言い始め、打ち合わせどころではない。「早く下に取りに行けば」と私。

                   

                  「なんでそんな簡単なことがわからないの」と言いたかったけれど我慢する。春子は、暫らくして諦め顔で戻ってきた。「駄目だった、落ちた場所の周りに鉄格子が有って入れないの」靴下一足ぐらいと私は思うのだが、春子にとっては結構こたえている様子だ。そうしている内に8時、パンとミルク紅茶、お決まりの朝食。食事を終えていよいよ出発、「ペンション・ナザレ」ともしばしのお別れ。

                   

                  先日、セトゥーバル行きで悩まされた魔のプラッサ・エスパニョーラのロータリーも無事通過、と思いきや、地図にない町を次々と車は通り過ぎる。どうやらリスボアから郊外にぬける国道を途中から間違え、脇道にそれてしまったらしい。

                   

                  オビドスへの道は遅々として進まず、私は「ドライバーは運転する前に地図をよく見るべきよ」、奥村さんは「ナビゲーターの怠慢だ」と互いを非難、険悪なムードになる。その応酬の凄まじさに春子は、後部座席で小さくなってガイドブックを読むふりをしている。

                   

                  それでも途中から軌道修正をしながらオビドスに到着。遠くの小高い丘の上にオビドス城壁が見えてホッとする。オビドスの町は中世の城下町で城壁の内側に町がスッポリ入っている。クネクネと曲がった城内の道、まっ白な壁にブーゲンビリアの赤紫の花、とても可愛いいメルヘンチックな世界。春子は感激、トウのたった私には乙女チック過ぎて似合わず、奥村さんは無関心。オビドスは観光地なので外人客が多い。

                   

                  町の中心にあるポウザーダ(古い修道院や王宮をホテルに改装した建物)カステロは、とりわけ外国人で込み合っている。オビドス城外にある大きな石造りの教会、イグレージャ・セニョーラ・ペドラ。ここには観光客の姿もなく、厳粛なムードが漂う。

                   

                  奥村さんは俄然ハッスルしてシャッター音を響かせる、春子はつまらなそう。通りに目を向けると、突然、色とりどり100台余りの自転車の列、ロードレースをしているのだろうか、猛スピードで走り去って行く。

                   

                  原っぱでは、一匹のノラ犬がトボトボと歩く、ポルトガルの犬はなぜか覇気がない。中世の町オビドスを後にして、サンタ・クルーズに向かう。この町は、作家・壇一雄さんが執筆活動と療養をかねて滞在した町として日本人に広く知られている。町に着くとポルトガル人が私たちに「日本人の碑なら海岸沿いに有るよ」と尋ねもしないのに教えてくれる。

                   

                  日本で出版されたガイドブックには、ひなびた漁師町と紹介されているが、今はまるで江ノ島のようにホテルが雨後のたけのこのように乱立、リゾート化も甚だしい。彼の住んでいた白い家だけが、ひっそりと残されて昔のたたずまいを偲ばせていた。きっと壇一雄さんも、草葉の陰で苦笑していることだろう。期待はずれに私はガッカリした。

                   

                  夕暮れが迫るころ、ペニッシュの海岸線に出た。夕日に染まる大西洋の荒波、岩をも削らんばかりの強風、風化してサンドイッチを積み上げたようになった岸壁、強烈で神秘的な光景だ。ビュンビュン吹きつける風にさらされ、草むらの中に毛の細い白い犬がうずくまって寒さを忍んでいる。

                   

                  白毛は薄汚れボロボロで、おどおどした犬の様子から人間に苛められたに違いなく、クラッカーをやろうとしても警戒して、ヨロヨロと道の中央に逃げてしまい、やがて疲れてションボリと座り込む。犬が車にはねられてはと、クラッカーを岩陰に置くと安心したのか美味しそうに食べる。

                   

                  一方、奥村さんは強風の中、必死になって撮影を続ける。彼は、私が犬と遊んでいると思い「僕が仕事をして崖から落ちるかもしれないというのに」とブツブツ言うが、私たちは犬の命の方が気になる。その場を去る時、コンフェタリア「ナショナル」で貰った高級菓子のフルーツケーキをその犬にやって別れた。

                   

                  私たちは、今日の宿泊をペニッシュと決め、ペンションを探すことにした。街中の1軒目のペンションは高すぎて敬遠、2軒目で交渉成立。しかし、このペンションはリスボアのペンションに比べると安いが汚い。3人で一晩5500エスクード。勿論、トイレは共同で水が流れっぱなしなので、使用するたびに元栓を閉めなければならない。

                   

                  便器の下は漏れてきた水でビショビショ、おまけにトイレの真下が厨房なので用を足たすたびにフライドポテトの匂いが充満して油酔い、オエッとなるからたまったものではない。3階建のペンションの2階が私たちの宿泊する部屋、1階はバール(居酒屋とスナックが一緒になった店)で日曜日ともなると漁師で賑わい、飲めや歌へやの大宴会が始まる。

                   

                  奥村さんは、すぐにそのグループと合流、明日漁船に乗り撮影させてもらうことになった。そこまでは見事な交渉力を感心しのだが、その後が悪かった。親しくなった漁師の一人が、大切な商売道具のフラッシュをいじくりまわしてブッ壊してしまったのである。

                   

                  奥村さんは飲みすぎた酒で真っ赤な顔をして、「あー、ヤバイナー」と言って修理にあいつとめるが簡単には直りそうもない。それでもフラッシュの高電圧に感電しそうになりながらも、夜半までかかって何とか応急処置で使用できるようになった。明日、奥村さんは寝不足でキツイ一日になるだろう。

                  ポルトガルの窓から日本が見える No.9

                  2016.12.13 Tuesday

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                    ポルトガルの窓から日本が見える

                     

                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                     

                     

                     

                    Hot spring hospital Aspirator treatment 温泉病院 吸引治療

                     

                     

                    漁村と温泉町での顛末

                     

                    昨夜、私たちが泊まったペンション1階のカフェで出会ったポルトガル漁師から漁船に乗せてもらう約束をしたのだが、あいにくシケとなり予定を変更、今夜9時にカフェで待ち合わせて漁港見学に連れて行ってもらうことになった。魚の水揚げの様子を撮影できるかも知れない。

                     

                    このペンションの名は「クリスタル」、とても綺麗な名称だがトイレは水びだし、部屋は日本のビジネスホテルよりもまだ狭く、椅子もおいてないので足の踏み場もなく荷物をベットの上に乗せる始末、あ〜あ。

                     

                    そのためか春子は部屋に居つかず、カフェで作家よろしくなにやら書き物をしている。奥村さんは壊されてしまったフラッシュを「完全修理できそうだ」と喜んでいる。

                     

                    今日は、夜の約束の時間までペニッシュからカルダス・ダ・ライーニャへと向かう。カルダス・ダ・ライ―ニャにはプラッサ・デ・リカブリカという大きな広場があり、早朝から青空市場が開かれている。 農家のおばちゃんやおじちゃんが、近くの村々から自前の農作物をもってやってくる。赤や緑のでっかいピーマン、日本では見たこともないピンク色をした長が〜い豆など。市場は、野菜、果物、チーズ、ソーセージ、パンでいっぱい。

                     

                    ここでもおばちゃんは元気印、何処に行ってもポルトガルでは女の人が男勝りの働きを見せる。リスボアの市場では魚河岸で75年も働いているおばちゃんに出会ったが、ここでもそういう人が沢山、ポルトガル女性の日常の姿なのだろう。

                     

                    今夜は夕食をとる暇がないと思い、直径30センチもあるパンを120エスクード、チーズ4分の1を270エスクードで買う。買い物を終えて駐車場に戻る途中、筒形をした緑色のトンガリ屋根でヨーロッパの街角でよく見かける広告塔のようなものに出くわす。

                     

                    よ〜く見ると、ドアにはオクパード(使用中)とリーブレ(空き)の文字を発見。なんと公衆便所なのだ。ポルトガルに来て初めて見る公衆便所、私たち3人は異常な好奇心。そこで奥村さんがトイレ内部の写真を撮ろうとドアを開けようとするが開かない。このトイレは硬貨を入れないと開かない仕組になっているのだ。早速硬貨を入れてみる。勿論みごとにドアは開いたが3秒程で自動的にドアは閉まってしまった。

                     

                    そこで誰かが体験使用してみようという事になったが、もしドアが開かなくなったらと、みなビビッている。すでにリスボアで雪隠詰めになった経験のある不肖・私めが体験使用することとあいなった。中に入るとユニットバスのトイレ版といったところか、真っ白でとても清潔、日本の公衆便所特有のアンモニアの臭いもない。

                     

                    仕様説明をよく読んでみると、使用後ドアが閉まった時点から15秒で室内全部から水が流れて洗浄すると書いてある。どうりでピカピカなわけだ。でも、立ち上がって15秒経つとトイレの自動ドアも開くしくみ、用足し途中で立ち上がる人は居ないと思うが何とも不安なトイレだ。日本も清潔で臭いのない公衆便所という点では機能もマナーも見習うべきだ。

                     

                    ところで、カルダス・ダ・ライーニャは、日本語に訳すと「女王様の温泉」となる。この町はヨーロッパでも一番古いオスピタル・テルマル(温泉病院)があることで知られている。日本では余り知られていないが、ポルトガルには日本人が大好きな温泉が沢山ある。

                     

                    病院は町の中心街にある大きな公園内にあり、町を一望できる高台にあった。玄関を入ると突然大広間になっていてプーンとイオウの臭いが鼻をつく。ローブを着た男女、子供、老人で大賑わい、特に年配の女性が多い。温泉病院では、気管支疾患治療の部屋、女王様の部屋、レセプションなどを撮影、その後ドクターにもインタビュー。

                     

                    1485年レオノール女王の命により作られ、病院と温泉が合体した画期的な施設と、より目のドクターは誇らしげだ。ここの鉱泉はリュウマチ、呼吸器疾患に特に効用があるとのことだ。そして、日本の鉱泉専門医も研究のために、しばしば訪れているそうだ。

                     

                    20分程のインタビューをしたが専門的な話が多く、私と奥村さん、勿論春子も目を白黒、ドクターは私たちが渡した3枚の名刺を横にきれいに並べて、本当にこの人たちは理解しているのだろうかという顔つきで、より目を一生懸命広げて私たちの表情を見回していた。

                     

                    ここは医学的根拠に基づいた真面目な温泉、日本人が歓楽街気分で訪れるとガッカリするだろう、現に温泉好きの奥村さんですら、入ってみたいとは言い出さなかった。

                     

                    夜、約束通りペニッシュのペンションに戻る。せっかく青空市でパンやチーズを経費節約のために買ったのだが、余りの寒さに我慢できず、カフェの暖かそうなスープ、ミルクコーヒー、パステス・デ・カマロン(ポルトガル風揚げ餃子)の誘惑に負けて食べてしまう。

                     

                    約束の時間は9時だったが漁師は現れない。少々過ぎた頃ヴァージニアという漁師の母親がやって来た。彼女の話では、この2〜3日シケが続き荷おろしがないので撮影は中止との知らせ。奥村さんは残念がることしきり、春子は盛り沢山のスケジュールのせいで疲労困憊。再び、私たち3人はオビドスを抜けてカルダス・ダ・ライーニャに引き返す。時刻はすでに夜10時になっていた。 

                    ポルトガルの窓から日本が見える No.10

                    2016.12.13 Tuesday

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                      ポルトガルの窓から日本が見える

                       

                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                       

                       

                       

                      Monastery of  Alcobaca アルコバッサ修道院

                       

                       

                      アルコバッサ初日

                       

                      今朝、ポルトガルに来て初めて雨が降った。アルコバッサ到着、この町は今までの町と違い道路が広く、交通量も比較的少なく、空気が澄んでいる感じがした。町の中央には、ゴシック様式のモステイロ・デ・マリア(修道院)がある。これが春子のかねてからのお気に入りの修道院で、日本でも知られる悲恋物語の主役ドン・ペドロとイネス・カストロの墓があることで知られている。

                       

                      教会の中では50代の観光案内人のおじさんが、東洋人来訪が珍しいとみえ、何かと説明をしてくれる。春子は水を得たりと日本で買ったガイドブックで読んだことをオウム返しに質問する。勿論、それを通訳するのだが、すでに判っていることを聞いても仕方がない。春子が一生懸命取材をしようとすればする程、私は厭になってきた。やっとのことで取材を終え、おじさんに礼をいって少々のチップをさしあげて別れた。

                       

                      昼食は、レストラン「セレイロ・ドス・フラデス」で食べることにする。久しぶりの美味しい昼食、私は「かじきまぐろの塩焼き」、春子は「いか」、奥村さんは「ステーキとフライドポテト」、ごはんにサラダである。「塩抜きで」と頼んだので普段の味が楽しめた。ポルトガル料理は一般的に北に行くほど塩辛く、量が多くなる、それにテーブルにつくと必ず直ぐにチーズやオリーブのオードブルが出る。私たちはチーズを食べることにした。

                       

                      ところが石のように固い、尋常な固さではない。ナイフを使っても切れない、周囲を気にしながら、やむをえずたたき割る。まるで石鹸を食べているみたいだ。奥村さんは自分から食べようと言い出した手前、1人で半分ほど食べたが、ついにリタイア。

                       

                      「なんでこんなチーズを出すのだろう」と話題沸騰。「きっと何度も客に出して乾燥してしまったんだ」、「外人だから文句を言わないとおもっているんだ」、「金もうけ、オーナーが効率主義者なんだ」などいろいろな意見が飛び出したが、結局本当のところは判らずしまいであった。

                       

                      アルコバッサの町は、アルコア川とバッサ川の交わる所にある。中世の十字軍遠征のおり、シトー教団の命によりキリスト教をポルトガルに普及させるために文化と農業を教え広めた歴史がある。この町は、その拠点として栄えメッカとなった土地だ。町外れには、沢山の陶器工場があり歴史を偲ばせる。

                       

                      工場はさんちゃん経営から大規模なものまであるが、どの焼き物もデザインと色は明るく楽しいが、焼きはあまい。でも、せっかく来たのだからとホテルの主人に陶器工場の住所を聞いて突撃取材。訪ねてみると一字違いの社名、それでも陶器工場には変わりないと厚かましくも取材を申し込む。快く承諾を得てなかに入ると、思いがけず私たちが探していた椿の花「ジャポネイラ」をパターン化したデザインの花瓶が見つかり、私たちは大喜び。

                       

                      夜、春子がヴィーニョ・ヴェルデ(ポルトガルのアルコール分の少ない若いワイン)を買ってくる。やはり私の口にはあわない。昨日カルダス・ダ・ライーニャの青空市場で買った大きなパンは、とても美味しく噛めば噛むほど深みがある、チーズも絶品。

                       

                      今日は奮発して4つ星ホテル「サンタ・マリア」1日6000エスクード、これまでの中では一番贅沢なホテル。しかし、部屋に案内されて驚いた、奥村さんの部屋の窓が半分ないのだ。この寒さなのに蝿が元気にブンブン飛ぶおまけつき。早速、ボーイを呼び別の部屋を用意させる。

                       

                      春子の部屋は一番大きく、壁色がパウダーブルーでコーディネイトされ、まるで女王様の部屋、彼女は満足の極み。私の部屋は豪華大理石のバスルーム、だが、お風呂に入ってバスタブにお湯を入れようにも蛇口からは何時までたっても冷たい水しか出てこない。またまた電話で文句を言うが「その内出ますよ」とつれない返事。結局、ぬるま湯が限界、しょうがなしに風呂に入る決心、結果、風邪ぎみとなる。「これでも4つ星ホテルか」と叫びたくなった。